途中まで読んだところで、「人間圏」システムと、かつてポピュラーであった「ガイア仮説」との類似を感じた。果たして、第10節で、『ラヴロックのいうガイアの環境自動制御装置は、地表に酸素があふれ始め、生命が大陸に進出した四億年くらい前から今日までの「地球の現代史」に限って働いているというのなら、私は大枠に於て意義はない。だが、地球史を通じて生命が地球環境をコントロールしてきたとなると、惑星科学的な視点から明らかに論理の破綻と断じざるを得ない。』(p.88)とし、『私が「ガイア仮説を超えなければならない」と主張するのもこのような理由によるのである。』(p.93)と、一定の評価と批判を加えている。この2ヶ所の引用の間に著者の議論が記述されているわけであるが、(ラヴロックの本は読んでいないので、自信はないが)どうも議論のかみ合いがわからなかった。換言すれば、本書のここより前の部分で「ガイア仮説」に似ていると感じた部分と、この節の結論とのあいだには飛躍があるように感じたということになる。
本書は月刊誌への連載記事が元となっており、専門的な内容に関する説明は極力簡略化されている。しかし、単行本化にあたっては、専門書レベルまではともかくとして、もう少し科学的な説明を望む読者のための書目リストを加えてほしかった。
原始地球には巨大隕石が衝突し、水を含んだ原始地殻物質が溶けて花崗岩ができ、これが会場に浮き上がって初期の大陸がつくられ、雨を浴びることにより削り取られた物質が海に流れ込み、このゴミによって汚染された結果、酸性だった海は中和され、大気に含まれていた二酸化炭素がとけ込みやすい状態となり減り続け、温室効果を減らし、気温が下がるようになったという(p.30-)。ここで重要になってくるのがプレートテクトニクスで大地を動かすことによる二酸化炭素の循環らしいが、詳しいことは本を読んでいただいて、個人的にうなったのが、「地球にやさしい」的な考え方を木っ端みじんにしているところ。松井さんによると、人間は農耕文明に移ったことにより、地球内部の物質を意識的に取り出して消費する「人間圏」ともよべるステージをつくり、それによって「ヒトは人としてゴミを捨てる存在」になったわけで、「地球に優しい」という言い方は、そもそも環境問題をわかりにくくしており、さらには、地球が冷える原因となり、温室効果を減らしたのも、原始地球における海洋汚染ではないか、というわけだ。