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アガスティアの葉[完全版]―未来のゆくえ、それは運命か、それとも自由意志か

価格: ¥1,890
カテゴリ: 単行本
ブランド: 三五館
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【セブン-イレブンで24時間受取りOK・送料0円!】 著者/訳者名:青山 圭秀 著 出版社名:三五館 発行年月:2009年12月 関連キーワード:アガステイア ノ ハ カンゼンバン あがすていあ の は かんぜんばん、 サンゴカン 2966 さんごかん 2966、 サンゴカン 2966 さんごかん 2966 自らの現在・過去・未来が綴られた「予言の葉」と出会ってから16年-当初はただただ驚き、感動していた。しかし…。神聖ノンフィクション。 プロローグ 東洋の生命科学ヴェーダの国星と雪、そして青い石チベットの医学と星の科学失われた時への想い哀しみのイエズス会士聖なる紐の儀式運命の予感聖者アガスティアの予言生命の絶えざる流れカルマを解消する儀式運命、そして出会い新たな展開と考察エピローグ-生命と意識の深化
著者は「ファンタジー」の類を書きたいだけなのだろうか? ★★☆☆☆
『理性のゆらぎ』が出版された当時から、青山氏の著作は読んでいるが、実際問題としてどこまでが「ノンフィクション」なのだろうか。
例えば彼の本に必ず出てくる「サイババ」にしても、インドに行くたびに頻繁に謁見しているそうだが、そこで語られたサイババの言葉は、本当にそういうことを言っていたのだろうか。

サイババは急速な世界的ブームの後に、児童に対する性的虐待を報道されて、サイババに対する懐疑派も多くなった。
そういうことも含めて、この青山氏はちゃんと科学者らしく調べようとはしない。

だからどうも私には、自分の仕事に都合よく書いているような気がして仕方ないのだ。

私のこういう疑問に対して、青山氏の著作ファンは感情的な反応を見せるかもしれないが、「疑問」を明らかにしていく行為が学者の役目ではないだろうか。

神秘的な気持ちになれる「ポエム(詩)」のような物語など、ここではどうでもいいと思うのだ。
本を執筆し始めてから、何年もの間全く変わらない青山氏のこういう姿勢には、さすがにもう飽き飽きしたというのが私の率直な印象だ。
論理的には否定出来ない ★☆☆☆☆
論理学の専門家に次のように質問した。
「インドには、紀元前3000年頃実在した聖者、アガスティアの書いた予言が今も倉庫に保存されている。
それは、アガスティアの葉というものに古代タミル語で書かれている。
そこには、地球上に住む人間ひとりひとりの運命に対する予言がすべて記されている」
これを論理的に否定できますか。

答は『否定出来ない』であった。
著者の青山氏もこれはノンフィクションであるとしている。

アガスティアの葉を読んでくれるのは、ナディ・リーダーと呼ばれる専門家で、料金をとること。
日本人の場合は、さらに通訳を介すること。
指紋と照合して、個人個人のアガスティアの葉を探すこと。
予言を読んでくれる前に、親は、兄弟は、趣味は、と、とにかくたくさんの質問をすること。
アガスティアの葉通りの運命の人もいれば、もちろんそうでないひともいること。

ま。これらを総合すると占いの一種であるということだ。
自由意思とは・・ ★★★★☆
アガスティアの葉・・おれは、この葉のことを考えるたび
その真偽はさておき、人生を生きていくうえで、いったい人間の
自由意志とはどういうことなのか?・・ということを考えさせられる。
カルマにより仮に人生が決まっているのなら、時としておれ達人間に
降り注ぐ神の恩寵なる力もまた、カルマにより決まっているものなのか?
それに対する聖者と呼ばれる存在の回答は「否、神の恩寵は、カルマをも
超越するものだ・・」ということだそうです・・。しかし、結局、祈ったり瞑想したり
自他に対する怒りを許しに変え、否定的破壊的な思考感情を肯定的調和的な
それに意識的に方向づけようとする・・つまり聖者たちが、おれ達に普通に説く
所謂、道徳的行為なるものが、おれ達人間がその恩寵に浴するための唯一
可能な奇跡的行為なのではないだろうか・・そして、そんな奇跡と呼べる行為を
日々、真摯に実行しようと決意できるような人生を生きていられるとするのなら
いたずらに、この葉を読みに行く必要などないのではないか・・と、おれは感じました。
醒めました ★☆☆☆☆
完全版ということで、16年前のオリジナルに加筆が加えられたものでした。
個人的にはそれは不要と思いましたが、以前が絶版?ということで分厚い本になってしまったのでしょうか。
科学者らしく必死に検証の結果を伝えようとする筆者の努力は感じたし、彼が見聞したことは事実なんだろうと思います。読後人間である以上真理はわからないし、結局はこの世界は矛盾だらけなのだという思いに至りました。どんなに当たるといわれる預言や占いでも、”たとえ腕のいい占星術師とはいえ人間である以上読み手により誤差も生じる”とのことですね。しかし個人の自由ではあるが、サイババ信奉者やカルマ論の根強いインド好きには受け入れられることかもしれません。
筆者のような体験が自分に起これば当然探求したくなっただろうし、できないから筆者のノンフィクションに引き込まれ、そして運命というものに翻弄されていく過程を赤裸々に綴られた勇気には感銘致します。
しかしこの書籍に関しては、正直立ち読みでエピローグだけ読めば十分かと。。
ナンセンス、ふたたび ★★☆☆☆
人間の知性がいかに無明に閉ざされているのかを痛感させてくれる本です。
観点のありかが、多少同じ平面において、位置が変わったかもしれませんが、
もともと持っている根本的な問題を解決しているとはとてもいえないと思います。
信じたいことを信じるのは自由ですが、人に影響を与える書物で、
このようなことを広めるとはいかがなものでしょうか。