【セブン-イレブンで24時間受取りOK・送料0円!】 著者/訳者名:エラリー・クイーン/著 鮎川信夫/訳 出版社名:東京創元社 シリーズ名:創元推理文庫 発行年月:1992年 関連キーワード:エツクス ノ ヒゲキ ソウゲン スイリ ブンコ えつくす の ひげき そうげん すいり ぶんこ、 トウキヨウ ソウゲンシヤ トウキヨウソウゲンシヤ 5147 とうきよう そうげんしや とうきようそうげんしや 5147、 トウキヨウ ソウゲンシヤ トウキヨウソウゲンシヤ 5147 とうきよう そうげんしや とうきようそうげんしや 5147
期待していたが・・・残念
★★★☆☆
高評価につられシリーズ全作買ってみたが、開始早々、
1作目のこれをして、自分には合わないのでは・・・と感じました。
当然ながら、素晴らしい点とその真逆の点両方があります。
秀逸だったのは、確かに読者にも作者が意図した真実に辿り着けるよう、
各所に非常に巧みにヒントが散りばめられていた点。
物語の最後、レーンが事件を解説していく上で、
「なるほどそう言われれば!」と唸ってしまいました。
この作品が発売されたミステリー最盛期の頃は、
本気でこの謎に取り組んだ読者もいたのかも知れませんね。
それくらい非常によく練られており、また整合性と分かりやすさ、
両方が素晴らしいバランスで存在していると思います。
しかし一方で、そのトリック、その捜査方法は、
あまりにもご都合主義過ぎると思わざるを得ませんでした。
読者が探偵役よりも先に真実に辿り着けるかどうかではなく、
レーンのその行動があまりにも非現実的な点に違和感を感じました。
そもそもリアリティに徹していながら、
ことレーンの行動全てが誰にも露呈せず自然に進行したこと、
そこがあまりにも腑に落ちませんでした。
大胆な手法と、読者に対する挑戦姿勢、当時としては画期的なトリック等、
確かに素晴らしい点は多々存在します。
それと同時に、個人的には諸手を挙げて評価するには
あまりにも都合がよすぎる展開は評価できません。
以降の作品も自分には合わず、過大期待だったようです。
それでもミステリーの名作であると言われても確かに納得はでき、
その点を考慮しまして☆3つとさせて頂きます。
完敗
★★★★★
犯人はおろか、トリックまでもが巧妙、
動機は何とか、かも知れませんが
推理しようにも推理ができない作品です。
なぜならば強力な
「文章」のためにそれを信じてしまう
用、読者を操ってしまうから。
なので結末がばっと出てきてしまっても
「え…?」と唖然としてしまうことでしょう。
まさか、とも思ってしまうかもしれませんね。
今回出てくるレーンは
エラリイとはまた違った雰囲気を持っています。
冷静そのもの。
そして的確に、犯人を追い詰めていきます。
決して派手さはないのです。
だけれどもエラリイの作品には
読者をひきつける
「力」があるんです。
充実な読後感に、完敗いたしました。
はじめてクイーンを読みました。
★★★★★
はじめてクイーンを読みました。
2人の作者の合同著者名であることを始めて知りました。
アメリカの探偵ものとして楽しめました。
次はYの悲劇を読もうと思いました。
「レーン四部作」開幕
★★★★☆
聾者の老シェークスピア俳優、ドルリー・レーンを探偵役とした「レーン四部作」の第一作。エラリー・クイーン(バーナビー・ロスというべきか?)の記念碑的作品です。
満員電車の中で株式仲買人が殺害される。凶器はポケットに入れられた毒針のついたコルク玉。犯人は誰か?第二の殺人に続き、容疑者と目された同僚もまた殺される。彼が残した左手のサインの意味は?
正直、現代のスレた読者にはすぐ犯人の見当はついてしまうでしょう。ダイイングメッセージも肩すかし気味ではあります。
しかし、すべての事実がつながり犯人が特定される論理の展開は今読んでもあざやか。謎解きのカタルシスは十分すぎるほど味わえます。
良い古典は現代においてもその価値は揺るぎません。本作は推理小説を語る上で必ず押さえておかなければならない一作であります。
なお、本作はあくまで「レーン四部作」の第一作です。これを読んだ後は必ず残りの「Yの悲劇 (創元推理文庫 104-2)」「Zの悲劇 (創元推理文庫)」「レーン最後の事件 (創元推理文庫 104-4)」も読まなくてはなりません。順番通りに読むことも必ずです。
「レーン四部作」をすべて読み終えたとき、エラリー・クイーンの謎解きの末の意外な犯人という推理小説の「型」への狂おしいまでの執念に感動することでしょう。本作はまだその幕開けなのです。
これぞ クイーン!
★★★★☆
読んだ。面白かった。四十年ぶりの再読だった。
ミステリーは読んでいるが、本格ものはずいぶん久しぶりだった。よく本格ものはパズルに譬えられるが、最近は、いまさら味もそっけもないパズルなんて、とどこかで感じていたような気がする。
ドルリー・レーンの何と個性的なことか。引退した偉大なるシェイクスピア俳優。耳は聞こえなくなったが、驚異的な読唇術で、ハンディをほとんどカバーしている。シェイクスピアの台詞の飽くことなき引用や蘊蓄も、その設定のおかげで自然である。
謎の設定や解明は、言うまでもなく申し分ない。今読んで改めて感じるのは、執筆時のアメリカの青年期ともいえる時期のダイナミズムである。あるいは、いかに小説中のこととはいえ、レーンが警察当局の代理人になるような行為を描いているのも驚きだった。
これまで読んだことのない人には、本書は本格もののみならずより広い意味でのミステリーとしても極上のものであろう。だが、若い頃読んだ記憶がある、という人にこそ勧められる本でもある。自分の中にあるミステリーの基準が再確認され、新たな発見があるに違いない。