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鴎外随筆集 (岩波文庫)

価格: ¥630
カテゴリ: 文庫
ブランド: 岩波書店
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「文豪」の随筆。 ★★★★★
大学時代に講義で使うというので買いました。しかし一部しか使わず、
腹立たしいので、全て読んでみました。

森鴎外は本当に物事を良く考えて文章を書いているなあという感想を持ちました。
(あっさりしたものもありますが)

彼の生きた時代を鴎外なりの視点で見事に映し出すことに成功しています。
文豪といわれるだけあるな!!と思わずに入られません。
内容が良いのもさることながら、本文の人名を注で調べると、
日本史の教科書を彩る著名人だったりして結構面白いです。

文語文を読む練習にもなるので、
一橋大など文語文を出題する可能性のある大学を受験する人にはよりいいと思います。
ただ、訳などという生易しいものはついていませんので、
ある程度古文、現代文どちらも読みなれていないと意味がとれず苦しいかも知れません。

解説も面白いです。近代文学を専攻するのもありだったなと思いました。
バランス感覚あふれる鴎外の秘密 ★★★★★
 陸軍軍医総監に登りつめたが、「宮内省・陸軍の栄典」を拒否し、「石見人森林太郎として」死にたい。大正11年に逝去した鴎外の遺言である。この本は、そんな鴎外の秘密が垣間見える随筆集。
 鴎外は、明治20年代、浪漫主義作家として一世を風靡するが、小倉左遷を境に、一時期、筆を折る。そして、文壇は、自然主義が主流となった。しかし、鴎外は、自然主義を「エピゴノイ(後から生まれたもの)」であり、「末流(他者に追随するもの、亜流、エピゴーネン)」と断じる(P97)。そして、文学史上、明治30年代は、不作の時代だった。
 さらに、19世紀後半は、「芸術破壊の時代」と断じる(P99)。その特徴は、「裏を行くことを心掛ける」ゆえの「消極」性である。それは、「すなおで無邪気」で「王者の風」があり「正」な前人と異なり、「ひねってねじれて」「覇者の風」があり「奇」だ(P108)。そして、芸術史上、19世紀後半以降、正統な芸術は、生まれていない。
 そんな鴎外が、明治40年代以降、再び筆をとる。日露戦争後、国家主義の義憤的演説がまかり通る時代となっていた。鴎外は批判する。ドイツで「義憤」は気恥ずかしいことだ、なぜなら、「『その義憤をなさるお前さんは第一の石を罪人になげうつ資格がおありなさるのですか』といわれると、赤面しなくてはならないと感じるから」だ。「それを敢てする人は面皮の厚い人とせられている」。それとも、ドイツ人よりも、日本人の道義心が厚いとでもいうのだろうか。それならば、「実に国家の幸福」だ(P129-130)。
 このような鴎外の批判(嫌味)は、バランス感覚ゆえのものだ。すなわち、「東洋学者に従えば、保守になり過ぎる、西洋学者に従えば、急激になる」。したがって、「東西両洋の文化を、一本ずつの足で踏まえて立っている」二本足の学者が必要だ。それが、「真に穏健」であり「現代に必要な調和的要素」だ(P73-74)。
 そして、鴎外亡き後、時代は、過激な暴走を始めた。
文豪はわれわれと同じ時代に生きていた、とわかる本 ★★★★★
鴎外を漱石と比べて”学識をひけらかす”と嫌う人がいるが、あるものを出すのは仕方がない。それよりも鴎外の随筆は、われわれと同じ問題意識が散見できる。例えば「礼儀小言」にある”此の如き礼は皆滅び尽して、これに代わるものは成立しておらぬ”という一文は、現在の日本社会を予見するようである。

江戸の伝統から明治の進取への尖兵となった鴎外は、失うものに対しても敏感であった。われわれが失ってしまった伝統と、われわれよりも明晰な思考を併せ持つ彼の随筆は、まだその色を失っていない。