感想。
★★★★☆
『舞姫』について。
エリスの自立性のなさを女性差別と取る方もいらっしゃるだろうが、当時としてはあれが精いっぱいであったのではないか。
近現代の日本の小説で初めて「共働きの同棲関係」という設定を持ち出した点は評価されても良いのではないか。
鴎外先生の女性観は、当時の文豪の中では進んでいるほうに属していたと思われる。
勿論、当時の女性観云々はこの作品集のみを読んでも分からない話なのではあるが。
読者としてこの作品に向き合うに当たっては、
小難しいことを考えずに雅文体とロマンティックな筋書きを楽しむのが理想だろうが、一応上のように弁明しておきたい。
彼女の言動を文章の通りに受け取るなら「カワイイ」の一言に尽きる。
日本の小説で「階段から駆け降り様に恋人に抱きつく」という動作を初めて行った女は、間違いなくエリスだろう。
『うたかたの記』は、マリィの強気な言動と呆気ない最期のギャップに、不思議な諧謔を帯びたペーソスを感じた。
あれだけ調子づいておきながら、人生は呆気ないモノだ。いかにも小説的な展開だ。
当世風に言えば、マリィは「ツンデレ」であろう。
『文づかひ』はドイツ三部作の中では最も無難な筋書きに思われた。少年士官が手紙を届ける話である。
文章は美しいし、話のオチも一応ちゃんとしている。ただエリスやマリィのような個性がイイダにはない。
然しながら、イイダがドイツ三部作の女たちの中で最もスマートに自分の生きる道を選び取っている点は見逃せない。
『そめちがへ』は……こういう話を書くなら樋口一葉のほうが上手かな、といった感じ。
口語の比重はドイツ三部作よりも高いのに、なぜか読みづらい。文章構成が分かりづらいのかもしれない。
ハックレンデルの小説『ふた夜』は、雅文体の叙景描写および伯爵公子と少女の遣り取りの場面がひたすらに美しく、
第一次イタリア統一戦争という舞台設定も斬新であった。物語の終らせ方が少々物足りなかったが……。
改めて、この話を発見して翻訳した鴎外先生は只者ではないと感じた。
ちなみに『文づかひ』『そめちがへ』『ふた夜』は新潮文庫版選集には収録されていない。
角川文庫版選集は本書から『そめちがへ』を差し引いた内容で、新字新仮名である。
この岩波文庫版選集は全篇新字旧仮名である。
読みにくい
★★★★☆
発表当時にフェミニズムの視点で語れる論者がいたら、
歴史的に評価は変わっていたでしょうか。
男なら女を取るか、出世をとるかの話で、ひどい結末です。
人間的苦悩の末、尽力した結果なので仕方がない。
しかしエリスの視点にたつといたたまれない。
現代でも、よくある話だと思いました。
かな使いが古いので、初読の場合、あらかじめあらすじを
リサーチしてから読むといいでしょう。
ドイツでの話し
★★★★★
ドイツでの話し。
恋愛物語。
こんな昔に、ヨーロッパでロマンスがあったなんて。
英語のタイトル ”The Dancing Girl" は、舞姫と合っているかどうかはよくわかりません。
NHKテレビ Jブンガクで紹介がありました。
ロマンティックで切なくて・・・・。
★★★★★
新しい大型書店ができて、その中にある喫茶店で暇つぶしにでも
と20何年かぶりかで「舞姫・うたかたの記」の文庫本を購入した。
格調高い日本語とロマンテックなストーリー、読みやすくなった文章
でおなかが一杯、押入れにしまっておいた宝物を発見した様な気持になった。
「舞姫・うたかたの記」と最初に出会ったのは、中1の頃で土曜日の
午後1時ごろから2時間にわたって放送されていた森鴎外を主人公
にしたドラマだった。
そのドラマ内の劇中劇で「舞姫」を観たのだが、何とも切なくやりきれない
ストーリーで最後のシーンで哀れなエリスの姿が今でも焼き付いている。
その、モデルとなったドイツ人女性とのエピソードもドラマで描かれていて
興味深い内容だった。
中1の頃は気がつかなかったが、改めて「舞姫・うたかたの記」を読んでみて
疑問がわいてきた、何故西洋が舞台なのにあえて古めかしい文語体を使用したのか?
これはあくまでも私の想像だが、エリスのモデルになったドイツ人女性が森鴎外の
後を追いかけて来日してきてしまった、これは当時の日本では大スキャンダルに
なったと思う。
そこで、口語体だとあまりに生生しく自らの女性関係などを詮索される恐れがある
為にあくまでもフィクションだという事を強調、というわけなのだろう。
(新聞など派手な浮世絵で面白可笑しく描かれたと思う・・・・。)
最後に・・・5作品すべてドラマ化希望、アニメ・マンガでも良し。
難解だからと無視するのはもったいない・・・・・。
国語の時間
★★★★★
私は舞姫を高校の国語の授業で始めて読んだ。舞姫を読むと非常に興奮した口調で豊太郎とエリスとの交歓を音読していた国語教師を今でも思い出す。私は高校時代、舞姫を西洋化による自我や国家に対する使命感について考える教材ではなく、明治の堂々たるラブロマンスのとして読んでいた。そう読めるだけの面白みがこの本にはあると思う。