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映画式まんが家入門 (アスキー新書)

価格: ¥800
カテゴリ: 新書
ブランド: アスキー・メディアワークス
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「映画的なストーリーマンガ」の正体 ★★★★☆
 「キャラクターメーカー―6つの理論とワークショップで学ぶ「つくり方」 」、「ストーリーメーカー 創作のための物語論」に続く、大塚英志による実践的なコミック作成ノウハウ本の第3弾。タイトルに「まんが家入門」とあるのは、これが石森章太郎(石ノ森章太郎)の古典的なマンガ手引き書「少年のためのマンガ家入門」を踏まえたものになっているためだ。「マンガ家入門」が出たのは1965年だが、大塚英志はこの本を日本のマンガ家の手で書かれた、これまでのところ唯一無二の実践的なマンガ理論書だと高く評価している。じつはマンガ家の手で書かれた実践的なマンガ理論書としては、山本おさむの「マンガの創り方―誰も教えなかったプロのストーリーづくり」も忘れてはならないはずなのだが、これは発売が2008年だから「マンガ家入門」に比べると40年以上もの時間差がある。大塚英志も指摘しているとおり、現在のマンガは石森章太郎が「マンガ家入門」で整理した理論の上に成り立っているし、戦後マンガ史のアウトラインも石森章太郎を含むポスト手塚治虫世代のマンガ家たちが語る「トキワ荘史観」がベースになっている。大塚英志はそうした事実を踏まえつつ、手塚治虫が開拓し、石森章太郎が「マンガ家入門」を通して理論化した戦後日本の映画的なストーリーマンガを批判的に検証していく。それは本当に「映画的」なのだろうか。そもそもマンガやアニメにおける「映画的」とは、具体的にどういうことなのか。それがこの本のテーマだ。

 石森章太郎の「少年のためのマンガ家入門」は僕も小学生の頃に読んだが(続編も読んだ)、これは現在も秋田書店から文庫本で発売されているこのジャンルの古典だ。マンガの描き方を映画用語で説明しているのが特徴で、僕はこの本で、ストーリー、プロット、シノプシス、テーマ、モンタージュ、絵コンテといった言葉を知った。(今は手もとに本がないので記憶で書いている。)この本以前にもマンガの描き方についての解説書は出ているようだが、それはもっぱら「絵」についての本であって、マンガ作品を全体として論じた本はなかったようだ。石森章太郎はストーリー性を持つマンガ作品の着想から構成作画に至るまでを説明するのに、映画の世界の言葉を借りてくるしかなかったのだ。そして借りてきたのは映画の世界の言葉だけではなく、20世紀初頭から発達した映画についての理論も借りてきている。

 大塚英志は戦前に日本で紹介されている映画理論書を引き合いに出しながら、映画理論が一般的な映画ファンの間にどの程度認知されていたのか、海外から輸入された映画理論が日本の中でどのように消化され、それがどのようにアニメやマンガの世界に取り込まれてきたのかを具体的に検証していく。本書の前半部はそのための作業にあてられていて、多くの資料や図版を引用しながら、手塚治虫の「映画的なマンガ」に至る道筋を明らかにしている。手塚治虫はいきなり現れたわけではなく、やはり先人たちの影響の下に現れたのだ。

 手塚治虫は自らのマンガ技法を理論化することがなかったが、手塚マンガの影響下で手塚マンガの技法を消化していった石森章太郎は、これを「マンガ家入門」の中で理論化してみせた。僕などはこうした手塚治と石森章太郎の関係を、映画におけるD・W・グリフィスとエイゼンシュテインの関係になぞらえたくもなる。グリフィスはクローズアップやクロスカッティングの発明者ではないが、それらの表現が持つ効果を熟知して、自分の作品の中で縦横無尽に使いこなしている。これを理論化したのが、クレショフやエイゼンシュテインといったソ連の映画監督たちなのだ。

 「映画的なストーリーマンガ」が誕生するまでをたどった本書前半は、語られている内容の多くがマンガ史に属する事柄。しかし現在のマンガ表現の源流をたどると、そこには石森章太郎が、手塚治虫が、さらには戦前の内外の映画理論家たちがいたという流れは理解されるべきかもしれない。現代のマンガが行き詰まったら、こうした過去に戻ればいいのだ。

 著者は映画の専門家ではないため、紹介されている映画用語や映画史的な知識については「それってどうなの?」と思われるところがないわけでもない。例えば「並行編集」は「パラレル・アクション」でも「カットバック」でも「クロスカッティング」でも基本的には同じ意味だし、一般的には「並行編集」という言葉が使われることは少ないと思う。「ショット」と「カット」の区別も曖昧。カメラポジションの分析についても、「それは違うだろう」という部分がかなりある。ストーリーリールについて説明するなら、アニマティックについての説明もほしかった。(本書の中で学生が作っている「映画」は、じつのところアニマティックじゃないのか?)他にも映画を専門とする立場から読むと、どうも居心地の悪い思いをする記述が多々ある。これらは本書の本筋とはまったく異なる次元での些細な傷だが、残念と言えば残念な部分だ。ただし著者の指摘している事柄は、映画とマンガの歴史や表現についてのひとつの問題提起。これをベースにして、映画・アニメ・マンガの表現技法についてより突っ込んだ議論と研究が生まれてくることが望ましい。