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新幹線をつくった男 島秀雄物語 (Lapita Books)

価格: ¥1,890
カテゴリ: 単行本
ブランド: 小学館
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昭和34年の時点で時速200キロ出せたんだ!! ★★★★☆
 1959年つまり昭和34年の時点で、まだ科学が原始的な時代に着工されたことは、アメリカのアポロ計画に通じるものもありますが、動力集中の機関車牽引型ではなく、動力分散型の電車という形で弾丸列車を走らせるというのが当時(戦前も含めてですが)の新しい発想であり、世界で鉄道凋落が常識とされた時代に鉄道の速さに賭けたというのが当時の国鉄総裁十河や島秀雄のすごさでしょう。全くの新線を作るというのは、新幹線のほとんどの部分が高架であったりトンネルであったりすることや、新神戸駅がトンネルとトンネルのの間の山の中にあったり、新岩国駅が山の中だったり大阪駅に新幹線のホームを作れなかったりしたことからわかりますが、おそらく戦前から新線構想があったからこそ、すでにいくらか土地を取得していたため、土地を取得する買収のお金が節約されたりしたのですが、ただ新幹線が国鉄の慢性赤字の原因になったのが新幹線の社会的影響の大きさと比べて皮肉だと思います。国鉄の赤字つまり借金だけ切り離されて国鉄清算事業団となって、JRという民営会社になったのも新幹線の建設も一因となったのが皮肉です。
日本鉄道技術史 ★★★★☆
ずいぶん昔のことだが、明治時代に外国から新技術を導入するにあたり、2つの失敗をしたということを教わった。東日本と西日本で交流の周波数が違うこと(50/60サイクル)、鉄道の線路の幅を狭軌(1067mm)としたことである。
狭軌ではスピード、輸送量とも限界があることは明治時代からわかっていた。標準軌(1435mm)の高速新線(弾丸列車)の計画は昭和初期からあったが、戦争で実現されなかった。
弾丸列車計画は、戦後の昭和30年に東海道新幹線計画としてよみがえる。それからわずか10年足らずで500kmにも及ぶ高速新線をほぼゼロの状態から開業にこぎつけたのは驚異的なことである。
成功した理由を下記に示す。

1)戦前から標準軌での高速運転の経験があった(満州鉄道のあじあ号)。
2)狭軌とはいえ、新幹線のひながたとなった「特急こだま号」を昭和33年に完成させた。
3)高速運転で最も支障となる台車の振動問題に早くから取り組んだ。
4)大電力を供給するのに有利な交流電化方式を採用した。
5)本書で強調されているように、可能な限り「経験のある技術」の改善で対応した。ただし、ATC(自動列車制御システム)のように新技術でも必須のものは迷わず採用した。
6)十河国鉄総裁、島技師長の両トップが計画開始時から開業直前まで強いリーダーシップを発揮できた。
7)追い風として、高度成長時期であったこと、競争相手(高速道路、航空機)がわが国では未発達であったこともあげられる。

本書は「新幹線」だけでなく、「日本鉄道技術史」としてもよくまとめられており、貴重な写真も多数載せられている。
「既成技術の集大成」とは新幹線のこと ★★★★☆
 日本の鉄道の黎明期から広軌鉄道への先人達の夢、そして初めてそれを形にした東海道新幹線までをとても中庸に分かりやすく書かれていた。金なし、時間なし、反対派の理解なしの苦境の中で世界に名だたる「SHINKANSEN」を完成させた背後には何があったのか。それはシステム工学に沿った技術者達のチームワーク、それをとりまとめるスーパーエンジニア・島秀雄の統率力の賜だったのだ、と思います。
 「新幹線のためだけに開発された技術は何一つ無い」「必ず将来に改良の余地を残す」この言葉が技術者の端くれである私に大変感銘を与えた。「のぞみ」号はまさにこの「改良の余地」から生まれた列車だろう。
 地道であること、堅実であること、チームワークを大事にすること、これがよく分かる、マシンエンジニア必見の一冊。
ロマンを創った親子二代 ★★★★★
世界に誇る高速鉄道である新幹線。実は戦前から「弾丸列車」として計画されていたものであった。鉄道省に勤める父の遺志を継いで、やっとの思いで開業にこぎつけた島の探究心と人柄が、その後の日本経済を支えるものとなった。新幹線には当時の最新技術は全く使われておらず、それまでに蓄積された技術の結晶を組み合わせた事が、今も続く安全神話の理由である。