ダルキー・アーカイブ・プレスが、ミルハウザーのあの素晴しい短編集を、アメリカ文学シリーズの1冊として再び世に送り出すことになった。巧みな描写力に加えて、人間の才知と酔狂に対するミルハウザーの深い洞察があますところなく発揮された物語の数々は、真実と超現実的な美しさの両方を兼ね備えている。
『Lives of the Monster Dogs』の著者、クリステン・バキスと、「アウグスト・エッツェンブルグ」を書いたミルハウザーは、同じ夜に同じ主人公の夢を見たのではないだろうか。両者とも名前をアウグストといい、両者とも創作家として、人間と人間もどきの違いは何かという難問に直面する。
主人公のアウグスト・エッシェンブルグは、ほんの短時間ではあるが、ほとんど生きていると見まがうほど精巧な動きをする、からくり人形を作りあげる。彼の技法はしかし、ハウゼンシュタインによって下劣な形で模倣される。ハウゼンシュタインが作ったのは、観客がより喜びそうなしろもの…セクシャルな側面が異様に強調されたからくり人形だった。うねるように動く巨大なヒップ、流し目の好色な顔、そして大きな胸。芸術は大衆娯楽のえじきとなった。そしてアウグストのパトロンは、彼の人形ではなく、お色気ロボットの方を選ぶのである。
カフカの「断食芸人」のように、アウグストもまた、経済状況を顧みず、芸術家としての衝動に駆り立てられるまま自らの芸術へと戻っていく。この衝動こそ、独立系出版社という名の芸術家にも求められるものではないだろうか。
ミルハウザー初心者のためのレビュー
★★★★★
【収録作】
(1)アウグスト・エッシェンブルク
(2)太陽に抗議をする
(3)ソリすべりパーティー
(4)湖畔の一日
(5)雪人間
(6)インザペニーアーケード
(7)東方の国
【概要】
1986年発表のミルハウザーの短編集。
ほとんどの作品が30ページ弱だが、(1)の作品のみ100ページ越えの中編となっており少し変則的。
(1)は理想と現実のはざまで苦悩する、からくり人形師の少年の物語。
(2)〜(4)は女性を主人公としたいわば「女心と秋の空」、女性の不安定な気持ちを描いた物語。
(5)(6)は見るものすべてが驚異に見えた子供時代・・・その興奮と畏怖を描いた物語。
(7)は実験作。
【良い所】
(2)〜(4)は会話も比較的多くて読みやすいが、ミルハウザーの真髄はやはり(1)(5)(6)の緻密で精密で濃密な描写にあります。
「描写フェチ」って言葉は的を射てる!。しつこい精緻な「描写の洪水」をぜひ味わってほしい。
柴田氏の美しい翻訳とマッチしてとっても美しい文章となっております
そして(1)〜(6)の作品に共通する「精神の未熟さ」だったり「不器用な心理」…。
ぜひ若い人には読んで欲しい美しい短編集。
スノードームのような世界
★★★★★
まるで、スノードームのような作品。
「物語」というよりは、「作品」と呼びたくなる。
小さく細密で、その世界はこのうえなく美しいのだけれど、同時に世界はそこだけで閉じていて、孤独でもの悲しい。
19世紀は、幻燈や映画などが登場した「光の時代」であり、また「大衆化の時代」でもあった。
「アウグスト・エッシェンブルグ」は、大衆化していく時代の、芸術家の孤独さと矜持を描いている秀作である。
失われていくものへの夢やロマン、ノスタルジアは、感傷的に過ぎてあまり好きではないのだが、ここまで徹底的でしかも完璧だと、いっそ見事と脱帽してしまう。
それくらい、職人的な細密描写と、この時代の雰囲気が、うまく描かれている。
過去に見た景色
★★★★★
遠くに見えるディーゼル列車のスピードは遅く、
小学生の足でも追いつけそうだった。
十字路から5本目の電信柱まで、誰もいない農道で、毎日列車と競争をした。
大声援が聞こえ、勝者への祝福さえも聞こえてきた。
走りきった後、すぐには息があがって、答えられない。
けれど、小さなガッツポーズでその拍手の音に答えていたりした。
あのまま、どこまでも走り続けていたのなら、
孤独にして無敵の、マラソンランナーになれたはずだった。
天才からくり人形師の人生を描いた「アウグスト・エッシェンブルク」が、抜きん出て素晴らしかった
★★★★★
その道の名人が、精魂込めて作り上げたガラス細工の陶器のような作品。冒頭の「アウグスト・エッシェンブルク」が、収録作品中では群を抜いた出来映えで魅了されました。
十九世紀後半のドイツ。からくり人形の天才的な作り手、アウグスト・エッシェンブルクの人生を、映画のフィルムが回るように映し出して行くストーリー。芸術と卑俗なものとの衝突、夢の成就にひた向きな芸術家の信念とジレンマ、時代の流れに浮きつ沈みつする人生。そういったモチーフが、鮮やかに文章の中に盛り込まれていたところ。素晴らしかったなあ。
物語の最初のほう、十四歳の誕生日を迎えたアウグストが、父親のヨーゼフと入った緑のテントの中で自動人形に魅せられてしまうシーン。彼とからくり人形との運命的な出会いを描いたそのシーン辺りから、魔術的、蠱惑(こわく)的な魅力を持つ話に夢中にさせられましたね。文章によるデッサンが実に精緻で、静かな気品をたたえていたのも味わい深く、好ましかったです。
この珠玉の名品のほか、「太陽に抗議する」「橇(そり)滑りパーティー」「湖畔の一日」「雪人間」「イン・ザ・ペニー・アーケード」「東方の国」を収録した一冊。
柴田元幸氏の訳文は、とても読みやすいものでした。
描写フェチ・ミルハウザーの世界に酔う
★★★★☆
「マーティン・ドレスラーの夢」(白水社)で、濃密に延々と書き込まれるホテルの描写に唖然としつつも陶酔感を覚えたぼくは、「あの世界」に帰りたくなって本書を手に取った次第である。現実と非現実の境界を華麗に行き交う独特な世界観は本作でも如何なく発揮されている。19世紀のドイツを舞台にした中篇小説では、時計を動かす歯車の仕組みから始まって世にも不思議なからくり人形たちまで、それらの「モノ」たちの美しさ、妖しさにうっとりしてしまう。札幌雪祭りをひとつの町で丸ごとスケールアップして狂気的に行ってしまう短篇では、加熱する作品の競い合い、その個々の完成度にクラクラと眩暈がする。オリエンタルな国の博物記といった具合の作品では、そこで語られる幻想的な数々の事象にとりとめもなく惹かれ続けるのであった。