聖人がもたらす社会的害悪!?
★★★★☆
個人レベルでは「いいこと」であっても、社会的レベルでは「わるいこと」になってしまう。
社会的ジレンマとは、ひとことでいえばそういうことである。
たとえば、駅前に自転車を駐輪するのは個人にとっては「便利でいいこと」であるが、
社会レベルでは「駅前の交通を阻害するわるいこと」である。
こうした矛盾を解決するのが、本書の著者が研究している社会学である。
本書を読んでいて衝撃を受けたのは、
「お人よしの善人、惜しみなく与える聖人のような人」が社会レベルではかえって害悪になりうる(かも知れない)、ということである。
それはなぜか。
筆者によると、世の中の大多数の人は「相手がやってくれるなら、自分もやってあげる」といういわゆる「ギブアンドテイク」の人、もしくは「みんながそうなら自分もそうする」という人である。
そして、割合としては少数ながら「相手にかかわらずとにかく自分はやってあげちゃう」お人よしと、
「自分はしてもらうだけで一切何もしてあげない」という困った人がいる。
この時、もし社会に「ギブアンドテイク」の人と「お人よし」の人しかいなければ何の問題もない。
世の中はうまくいくだろう。
そして、「ギブアンドテイク」の人と「困った人」の場合も、実はあまり問題がないのだ。
多数派の「ギブアンドテイク」の人は「お返し」がなければ何もしてあげなくなるので、最終的には「困った人」を囲い込み、排除することができる。
ところが、「ギブアンドテイク」と「お人よし」と「困った人」が揃うとどうなるのか、
端的にいって「お人よし」の人が「困った人」から搾取されることになるので、「困った人」たちが社会に居場所を獲得してしまうのである。
「困った人」たちの基本原則は、いつでも「自分さえよければいい」だ。
そして社会的ジレンマというのは、基本的に彼らが引き起こす問題である。
そのため、「お人よし」の存在が社会的ジレンマの解決に足を引っ張ってしまうのである。
これは実に興味深いことだ。
極端な話、「聖人が社会に及ぼす間接的害悪」というものが有り得るかもしれないのである。
この世にズルイ奴がいる限り、与えるだけの「お人よし」はそうしたズルさを幇助してしまうのだ。
カフカ的不条理の世界に迷い込んだかのような読後感。
★★★☆☆
著者なりの社会的ジレンマの解決法が提示されると思って読まなければ、良い本なんだろうと思う。私は読み方を間違えたせいで、カフカ的不条理の世界に迷い込んでしまった。
社会的ジレンマとは、人々が自分の利益や都合だけを考えて行動すると、社会的に望ましくない状態が生まれる状況を言う。
イギリスの農村にあったコモンズと呼ばれる共有の牧草地が、産業革命後、無計画に羊の増産をしたために荒廃した「共有地の悲劇」が社会的ジレンマの典型例として紹介される。
著者は、囚人のジレンマなどをモデル化した実験を駆使して、社会的ジレンマが発生するメカニズムを説明するのだが、どうやってこのジレンマを解決するのか、その答えはなかなか現れない。入試制度や結婚生活が社会的ジレンマの例として語られる論の進め方にも、違和感が次第に大きくなる。
そして突然、「これで社会的ジレンマについての研究の紹介は終りです」と宣告され、解決策は読者に委ねられる。いくつかのヒントはあるのだ。限界質量、ネットワーク、コミットメント・・・。だが、それは本書を読まなくてもわかっていたのではないか。
社会的ジレンマ状況の解決に向けて
★★★★☆
本書は囚人のジレンマに代表される社会的ジレンマ状況をめぐる議論が
書かれてある。
すなわち社会的ジレンマ状況でいかに相互の協力が可能かということを
問いかける。「万人の万人に対する闘争」としてホッブズ問題と呼ばれ
るこの手の問題。利己的な遺伝子のドーキンスや繰り返し囚人のジレン
マの生存競争のアクセルロッドなどは、各人が利己的に行動したとして
も秩序(協調−協調の組み合わせ)は可能だと主張している。論者によ
っては、ホッブズが国家権力を挙げたのと同様に、規範や慣習といった
自生的に秩序が生み出される仕組みを述べたりしている。
けれど、こうした社会的ジレンマ状況でいかに秩序が可能かという問が
ゲーム理論的に解決されたというわけではない。なぜなら、実際の社会
状況を想定するならば、環境問題などのように囚人のジレンマが複数あ
るいは膨大なプレイヤーのもとで行なわれるからである。
本書で著者は、人が協力を選ぶのはどういった(インセンティブが働いた)
ときなのかについて論じる。結論が実行力があるかどうかはわからない
が、分析を平易に論じているので読んでいてわかりやすかったし、楽し
かった。
疑問点としては1点だけ残った。
それは、囚人のジレンマゲームを実験では500円スタートで始めているが
これを5万円ぐらいにしたらどうなるのだろうか、というものだ。私は
500円の場合なら喜んで相手に協力すると思うが、5万円なら非協力を選択
しそうである。実験のなかでの選択なので、部分的には「500円ぐらいで
実験実施者たちに『みみっちいやっちゃ』と思われたくない」という心の
動きが被験者たちあったのではないかと感じた。
(P.180‐181の著者の主張通り)5万円にして500円のときよりも協力を
選ぶ人が増えれば、もうお手上げ、著者の論に感服していたところです。
(著者は、自分にとって重要性が増せば増すほど囚人のジレンマ状況を
「みんなが」状況に読み替える傾向にあるという主張をしていたので)
あと、人間は進化過程で特定の認知枠組みを手に入れた云々という記述が
ある。ここは引っかかる人が多いと思う。「社会生物学」をキーワードに
検索するとその手の研究がみつかるので読んでみるのもいいかもしれない。
(進化論自体がほぼ検証不可能の仮説なので、実証されているわけではな
い。一応の注意)
確かに斬新ではあるが…
★★☆☆☆
どうも実験の状況が現実と乖離しすぎているような気がした。
話が一般化されているようで、一般化されていない。解決が急務な「社会的ジレンマ」は
複雑な要素が絡み合っているわけで、例えば宗教的対立や、貧困が問題に絡んできたときに
この理論は応用が利くのか疑問。最初の方で挙げられている実験もくどい。
「みんなが」原理の効力
★★★★★
みんながやれば解決できて、みんなはより多くの利益を得られるのに、一人だけが協力してもバカを見るだけ。環境問題やいじめといった、こうした社会的ジレンマに対する考察。
囚人のジレンマから始まり、実際の実験を条件を変えながら繰り返し行うことで、ゲーム理論に基づく利己主義をも上回るあるものが、社会的ジレンマを解決していることに筆者は気づきます。
それが「みんなが」原理です。
さらに、筆者はその「みんなが」原理が生かせるような環境作りも考えて生きます。
この「みんなが」原理がどういうものか知りたい人は、ぜひこの本を読んでみてください。