本書の主人公はアメリカ生まれ。同著者による『Grandfather's Journey』の「祖父」の娘であり、『Tree of Cranes』の母でもある、見かけは純日本人の女性だ。でも彼女は、お茶なら(本書のタイトルでもある)ミルクティーが好き。戦前の日本に、アメリカからの「帰国子女」として生きた「バイリンギャル」は、英語に自信のない英語教師には疎まれ、教室から出される。自立、自己主張は、女性にとっての育ちの悪さとされ、実の親からさえ情けなく思われることがある。娘の幸せのためと称し、「矯正」されようとさえする。実の親がこうだとすれば、どこに彼女の安らぎの場があるというのだろう。
「似た境遇の親密な友を得ること」…これが1つの救済になる、という広義のメッセージが本書からは聞こえる。また狭義には、新しい自分の「家(いばしょ)」を作ること、つまり結婚が救済だ。主人公は、「同類」と思える男性にめぐり会い、早々と結婚、ハッピーエンドとなるが、現代に生きる私たちは、主人公の生きた時代性を考慮すべきだろう。すなわち、違う時代に生きる我々読者が受け取るべきは、広義のほうのメッセージではなかろうか。
絵の色調が素晴らしい。時代が香る。人間がしっかりと描けているのは、作者の人間観察力の証明だ。構図の精緻さと正確さも高レベルだが、その巧みな再現力を前面に出すまいとする著者の意識あるいは無意識が、絵に微妙な温かみを与えている。「温かみ」という言葉では甘過ぎる、ときに「入魂」というべき場面すらある。それでも、すべてにやりすぎの野暮を嫌う、おそらく日本的美意識とも言うべきトーンが、作品全体に作用していることは確かだ。(おおしま 英美)