オスカー・ワイルドの「ウィンダミア卿夫人の扇」の映画化だが、舞台が原作の19世紀末イギリスから、1930年代のイタリアに移し換えられた。主要人物もアメリカ人になったことで、より現代の観客に訴えやすい設定になっている。上流階級の若妻メグが、夫のウィンダミア氏とイタリアを訪れるが、悪名高いアーリン夫人がウィンダミアに近づく。
複雑に絡んだ誘惑のゲームに加え、周囲の狂騒も賑やかに描かれるのは、いかにもワイルドらしい。「噂されるより、噂されないほうが辛い」「悪い女は厄介だが、いい女は退屈」など、反語的な名セリフの数々が物語に溶け込み、軽妙なユーモアに浸れる。この反語の関係は、ヒロインふたりの人物像にもくっきりと表れている。経験のある女と、純粋な若い女。男はどちらを欲するのかというテーマが見え隠れするのだ。アーリン夫人役のヘレン・ハントは、際立つような美女でもないのに男を虜にする難しい役柄だが、観る者を納得させる名演。結末に用意される思わぬ感動も含め、時代を経ても、色褪せない愛のドラマを作ったワイルドの才能に、改めて感心させられる。(斉藤博昭)
ウィンダミア夫人の扇
★★★★★
充分な翻案でした。
対照的な2人の女性が、相似る瞬間。
ワイルドが切り取った、虚飾を排した人間の深奥の姿形です。
不可解
★★☆☆☆
Mrs. Erlynneはアメリカでは男漁りの常習犯でホテル代を踏み倒すような女だったのに、それがAmarfiに来てから人が変わってしまったようにMegの善良な母親を演じるようになってしまうのは何故なのか、分からない。それとも、自分の節を曲げない性格のためにアメリカでは単に誤解されまくっていて、本当は善人だった、ということなのか。それなら何故Windermereに沢山カネをせびっていたのか、それも分からない。そもそも、MegがAmarfiにいることを船の中の雑誌を読んで知ったにせよ、それが自分の娘だなんて、どうやって知ったのか、それが理解に苦しむ。名前がMegだったから?それだけで?原作は19世紀のイギリスが舞台だったということで、人が錯綜しながらも狭い社交界という世界でなら起きる可能性もある偶然だろうけど、アメリカからイタリアに舞台が飛んで、そこで娘に会うなんて。おしまいの良き母親イメージの部分だけみれば、良い映画、ということにもなるのだろうけれど。いや、実はa good womanだというMegの思いが誤解だったとしたら、それは面白い話になる。しかし、あの最後のあたりの出演者の演技ではそうは読めない。Wildeの原作がどうなっていたのか気になる。
信愛なるひととは。
★★★★★
アジアンティック、更には日本的余韻を感じる作品であり、扇子がひとつの要となっている部分もあり、やはり東洋的な侘び寂びのような要素を取り入れていると受け止めました。
1930年という設定は、その前年の1929年に始まった世界恐慌を意識しており、世界中を震撼させるパニック状態の中を掻い潜って、なお上流階級にある人びとが気品高く南イタリアでひと夏のバカンスを過ごす様子を描いています。
そういった中で、うわさ話が先行して、自らが手を汚して確かめようとせずに、思惑により確かな目を失ってしまうことの愚かさを喩えとしているようです。
欧米の合作映画ですが、メリハリの効いた言い回しではなく、みなまで語ろうとせずに次の展開に進むところが、何がしかの魅惑的な余韻を残した形となって表れています。
それは、80年前の上流階級の優雅な浪漫的要素を引き出しているのかもしれません。
後半まで痴話的なたわ言の話なのかと、タイトルとは違ったイメージに少しばかり落胆していましたが、クライマックスを迎えて、ようやくこの作品のタイトル「A Good Woman(理想の女)」の真意がわかり、感動的にハッとしました。
すごく奥深く意味の深い映画で、シナリオの巧妙さに舌を巻くことと思います。
上品で清楚なスカ・ヨハなのですが、彼女の魅力的な要素である素直さが良く出ています。
また、水色系の衣装は似合っており、やはり彼女には中間色が引き立つようですね。
スカーレットヨハンソン好演
★★★★★
アマルフィ
映像がとても良かったです
内容を話すとダメそうなのでやめます
やはりヨハンソンさん素敵でした
イタリアの社交界はとってもドロドロしてます...
上品かつ良質な作品
★★★★★
とてもいい作品だと思う。話の筋はハッピーエンドに終わるために陳腐な部分もあるが、上流階級の人々の考えかたがよくわかるし、会話が洗練されていて機知に富み、上品である。また、個人的には話し方(言葉の選び方)の練習になると思った。また、とにかくすばらしいのがヘレン・ハントの演技。そして声がなにより素晴らしい!彼女の低く、深い声は彼女の魅力を最大限引き出しているし、この作品の雰囲気にとても合っていると思う。彼女の母親がボイストレーナーだったということは彼女の発声方法に大いに関係しているだろう。彼女なしではこの映画は成り立たない。アーリン婦人とウィンダミア卿が初めて会った店での扇子をつかった会話や、残り15分間はハントの独壇場といっていい。映画って素晴らしいとシンプルに思える作品である。