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エクソシスト プレミアム・ツイン・パック [DVD]

価格: ¥3,129
カテゴリ: DVD
ブランド: ワーナー・ホーム・ビデオ
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ただのオカルトではない。 ★★★☆☆
この映画って、オカルト映画なんでしょうか?

おっかない系の映画をオカルトというならば、オカルト映画ですが、なんか、そういうくくり方には収まらない、登場人物の心理、心情が色濃く出ている映画だな、って感じました。

いきなり出てきて、「ワーーッッッッ!!」ってびびらす感じの、安っぽい映画じゃありません。

なんか、他のどんな映画に似ているかと聞かれて、何か挙げるとしたら、「ゴッドファーザー」かなあ。

いや、全然、似てないんですけど、全体に漂う匂いというか、悲しみというか、そういうものが似てる気がするなあ。

無理して ★★★★★
批判する箇所を探すなら見つからない事も無いでしょうが、そんな何の為にもならない努力をする必要性が見つからないのでこの評価としました。

間違いなくオカルト映画の最高峰だと思います。
見れば解りますが、以後の作品(洋画、邦画問わず)に多大な影響を与えています。

有名なスパイダーウォークは現在の作品でも使用されたりしてますし、当時としてはショッキング過ぎるというのも納得ですね。

とにかくオカルト映画を語るなら避けては通れない名作です。
特殊メイクの凄さ。 ★★★★★
主人公に取り憑いた悪魔を神父たちが退治する
いわゆる「悪魔祓い」のお話。

本作は私が小学生の時分、鑑賞途中でトラウマになってしまい
夜一人で寝ることができなくなってしまった作品。
(ばあちゃんにしがみついて寝てたのを覚えてる・・・)

特に、主人公リーガンがベッドの上で首が180度回転するシーンでは、
当時あまりの恐ろしさに途中で鑑賞を放棄し、
最近やっとDVD買って全部を観ることができた。
この作品の一番恐ろしいところは何といっても主人公に悪魔が取り憑いた時の
リーガンの特殊メイク!!!

今では以前ほどの恐怖心はないものの、
やはりリーガンの特殊メイクは今観ても恐ろしく、夜に観るのはかなり勇気がいる。

本作はデジタル・リマスター版も収録されているが、
音響部門でもアカデミー賞を受賞しているだけあって
音響効果もすばらしく、鑑賞する時はいつもそれで観ている。
また、本作では監督が丁寧に音声解説してくれているので
作品をより深く理解できる。
ひ、一言言わせてくださいっ! ★★★★★
僕がこのレビューを書こうした時の、この作品のアマゾンランキングは“1974”。な、なんとこの作品の公開された年と同じじゃないですかっ!!これに気付いたとき、書こうと思ってたことが一気にトビました。やはり悪魔の仕業なのか?!(この作品を高く評価する内容だったのだが。。。)あと言いたいのは、30年以上経ってもなお、ホラー映画の代名詞的存在だということです。
少女の様なリーガン ★★★★★
「もしも自分も取り付かれたら」と言う想像上の恐怖を観客に植え付ける点において、この映画程観客の生理感を揺さぶる作品もないでしょう。「悪魔」と言うメタファーを使いつつ、実は難病物のスタンスを持つ本作は、人体崩壊の恐怖をいやが上にも高めます。

しかし、そういったこけおどしの表現だけで、映画はここまでの完成度は勝ち得ないとも思うのです。冷静に見るとあまり怖くない、と言う意見は実は的を得ていて、あんまり人も死なないし(そうでもないか)、血の量も多くなく、リーガンの行為も「こんなん出来ます」的なパフォーマンスに過ぎません。
では本作で描かれる根源的な「恐怖」とは何か、と言うと「信じて疑わなかったものが崩壊する過程」なのだと思います。年齢、性別、国籍、宗教の有無に関わらず、「信じる」と言う事が、人間のパワーの源である事は疑い様のない事実でしょう。しかし信じる故に人間は強くなれる反面、それは又精神的な「急所」にもなり得ます。本作に出てくるキャラクター達は、信じる物に裏切られた、まさしく「神に見捨てられた人達」。しかも、彼等が抱える問題は深刻なれど、極めて日常的に起こりうる事が殆どだったりします。(信仰への懐疑、痴呆する親、貧困、原因不明の病、荒れる子供、悪化する健康等々・・)そんな「現実的な不安に苛まれる」彼等が、悪魔が巣食う部屋に集い、見透かされ、罵られながらも祈り続ける本作の基本プロットは、まるで迷える人達が、教会で懺悔室やキリスト像に祈る行為を「反転」させたものの様にも見えます。
本作で描かれる「恐怖」とは、信じていたものが失われ、どんどん日常が衰弱していく時間過程そのものであり、加えて本作における「感動」とは、それでも遂には命を投げ捨てて、「愛し続ける」事を勝ち取る「ポジテビリティ」にある様な気がします。(それこそがキリスト教的信仰心なのかもしれないけど、その辺は自分は良くわからないです)

個人的に一番怖かったのは、メリン神父が仆れた後のリーガンのカット。ここで彼女は、まさしく「少女のように」嘲笑います。「やはりリーガンの演技だったのか??」と思わせるこのカットは、悪魔×リーガン、と言う単純な図式がいきなり崩される瞬間であり、「少女の残虐さ」を以ってネガティヴに悪魔の存在を否定する瞬間でもあります。(この件は原作には存在しません)観客は、それが虚像と判っていても、少なくとも「映画内」ではキャラクターに起こっている事は事実である、と信じて映画を観ます。「悪魔」の存在を信じて疑わなかった観客は「悪魔的」な演出によって、映画のキャラクター同様に大きく揺さぶられ、「信じていたもの」に裏切られてしまうのです。

ところで、この映画の季節は秋。晩秋のジョージタウンの風景は、寒さが日に日に勢力を増し、鮮やかな色合いと引き換えに、木々も又、朽ち枯れて行きます。「衰弱する日常」を描く本作にとって、これほど的確な世界観もないでしょう。空気が冷え切る前の、秋の夜長に是非ご覧になって頂きたいと思います。