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シルクロードと唐帝国 (興亡の世界史)

価格: ¥2,415
カテゴリ: 単行本
ブランド: 講談社
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先祖はアフリカ生まれだから民族に優劣はないけどソグド人だけは優秀??? ★☆☆☆☆
話があっちに飛びこっちに飛び、読みにくいことこの上ないし、

説明もわかりにくく、「あれ?今のは何の説明?」としばしば思う。

歴史学者のわりには、客観性がまるでない。

結局はこの著者の言いたいことは、西洋や中華は人類的にみても

ちっともレベルが高くなくて騎馬民族とか、ソグド人とか

シルクロードで活躍した人の方がレベルが上だと言いたくてしかたないみたいだし

実際に何度も何度も、「西洋の紙はアジアの紙より劣っていた」とか

羅針盤も印刷術も最初に考えたのはアジアであり、西洋人じゃないとか

唐の時代の西洋の音楽はアジアの音楽に劣っていたとか

いうけど、少なくとも21世紀は、西洋のクラッシックが

全世界を魅了しているんだから、アジアにモーツアルトやショパンに

勝る天才はいないだろうって思ってしまった。

とにかく、この本は、せいぜい

西洋を高い地位から引きずり下ろすことが目的のようだ。

高い文明を誇ったローマは西洋人の直接の祖先ではないから

西洋が威張るのはおかしいと言っていること自体おかしいし、

そのわりには、「民族に優劣はない」と常套手段でつぎはぎを

しながら、ソグド人とかわけのわからない、どケチな商人を

神様のように称えまくっているのも不自然。

とにかくこの著者が言うには、アフリカ人も西洋人も日本人も

全人類はみんな祖先がアフリカ生まれで、日本で生活したから

顔が黄色くなり、ヨーロッパで生活すると白くなるんだと

アフリカなら黒くなる

いう意味のことが書かれたいたのでとても笑えた。

何人かのレビューにあるように史料的にも正確で

ユーラシア史観という目新しい視点と

言えなくもないが、この偏狭な書きっぷりには閉口である。



西域史の新地平を目指す ★★★★★
シルクロードも唐帝国もいずれも日本人の興味をそそって止まない研究対象である。それらはいずれも身近にあってなお捉えがたい。なぜならわれわれはこのいずれについても深い理解を持っていないからである。中国は史書に恵まれた国である。しかし隠然たる中華思想はその歴史をゆがめ伝える結果ももたらしている。シルクロードはどうであろうか。海洋が国際交流の主流となってこの方、多岐にわたるこの道筋は忘却の彼方にあった。そこに埋もれていた遺跡や文書は乏しいだけでなく、その発見や解読は遅々としている。
中央ユーラシアの歴史はこのいずれの課題にも関わっている。著者は本書によって自らを含む日本の学者グループが到達しつつあるその歴史の最先端を広く江湖に伝えたいと望んでいる。そこでシルクロードの商人としてのみ知られ、多くは謎に包まれたままのソクド人の実態を追い求める。シルクロードを彩る商品として馬や奴隷がクロ−スアップされる。胡人、さらには胡姫についても知見が示される。唐帝国についてはこれを中央ユーラシアの多民族国家として捉え直し、歴代王朝が辺境の経営に腐心するさまを伝える。唐の歴史に転機を画した安氏の乱も隣接するウイグル、チベットとの抗争の中で捉え直される。
中央ユーラシア世界の通説の見直し、さらには世界史の書き直しを求める著者の叙述は野心的である。その所説はなお幾多の詰めを要するものとしてもその指し示す方向は正しいのではないだろうか。



西域史の新地平を目指す ★★★★★
シルクロードも唐帝国もいずれも日本人の興味をそそって止まない関心対象である。しかしこのいずれもが身近にあるようでいてなお捉えがたい。中国は史書に恵まれた国である。しかし隠然たる中華思想はその歴史を歪め伝える結果ももたらしている。他方、シルクロードはどうであろうか。海洋が国際交易の主流になってこの方、多岐にわたるその道筋は忘却の彼方に埋もれてきた。その広大な地域から断片的に発見される遺跡や文書は乏しいだけでなく、満足のいく理解を阻むものであった。
中央ユーラシアの歴史はこのいずれの課題にも関わっている。著者は本書によって自らを含む日本の学者グループが到達しつつある理解の最先端を広く江湖に伝えたいと望んでいる。そこでシルクロードの商人としてのみ知られ、多くは謎に包まれたままであったソクド人の実態が追い求められる。シルクロードを彩る商品として馬や奴隷がクロースアップされる。胡人、さらには胡姫についても知見が示される。唐帝国は、中国歴代王朝が辺境の経営に腐心するさなかに出現した内陸アジアの多民族国家として捉え直される。唐の歴史に転機を画した安氏の乱も隣接するウイグル、チベットとの抗争の中で理解される。
中央ユーラシア世界についての通説を見直し、ひいては世界史の書き直しを求める著者の叙述は野心的である。その所説はなお幾多の詰めを要するものとしてもその指し示す方向は正しいのではないだろうか。
余りに生硬な歴史叙述 ★★★☆☆
著者はこの本でわれわれの従来の歴史観の大幅な変更を,最新の中央ユーラシア史の研究成果に基いて説こうと試みたが,極めて遺憾なことに必ずしも成功とはいい難い.それは歴史の叙述がいかにも生硬で,読んでいて今何が書かれているのか,しばしば見通しがつかなくなるためである.この欠点は,たとえばマニ教について説明なしにソグド人の記述が延々と続き,後に出てくる説明は誤りであるとか,ゾロアスター教をローカルな宗教だとする(それどころか後の西方のユダヤ教,キリスト教,マニ教,イスラム教などの先祖に当たる)ような驚くべき宗教学的見識の欠如が見られるなどの全体の物語の設定の杜撰さによる.私は自然科学の研究者だったが,新しいパラダイムの世界初演の論文を書くときは(勿論英語),'文学的'構成が決定的に重要であった.ここに欠陥があると読んで貰えないか,読んでも論旨を誤解される.著者はこの本をまず集中講義でリハーサルするべきであった.歴史は書けば理解されるような単純なものではないし,だからこそ面白いのだ.
中央ユーラシアから大胆な歴史像の見直しを迫る ★★★★★
 伝統的な日本人の世界史観は「西欧史+中国史+せいぜいその他」といったもので、それも西欧があくまで中心であり、「中国」も中華主義・漢民族中心のものであったが、近年ではこれはもはやゆがんだ一面的なものであるとことが示されつつある。

 特に日本人は唐代について、「国際的ではあるが漢民族の王朝」「シルクロードを通って様々民族、文物が移動した」というイメージを持ちがちであるが、それらも全て虚妄であることを本書は明らかにしていく。唐は本来トルコ・ペルシア系の民族の流れを汲む王朝で、朝鮮半島や日本出身の人間も活躍できる多民族国家であった。また、これまで「西域」などと呼ばれてきた「中央ユーラシア」が「周辺」でなく世界史の中心舞台であることを示す。特に、ソグド人と呼ばれる人々のネットワークを大いに評価している点が特徴である。
 このような観点から、伝統的な世界史像の中で語られて来た「突厥」民族の興亡や、タラス河畔の戦い、安史の乱、西域文化の交流などを大胆に読み替える。これまで「主」とされていたものがそうではなく、これまで取り上げらてこなかったものが「主」であったことが伝統的な漢文史料研究のみならず、現地語の解読や考古学的資料から説得力をもって示され、日本人の東洋史理解が大きく塗り替えられる。 
 さらには、世界史全体の構図に対しても堂々とあらたな見方を提案しており、知的興奮に満ちた、読み応えのある一冊である。

 図版、写真も豊富で、参考文献も特に詳細であり、今後の研究、読書の指針となる。