無愛想でヤル気のなさそうなグゥのキャラクターが何ともいえずにおもしろい。ころころ変わる表情に、くねくねと動く手足、体の中に住む住人と、とにかくナゾだらけのグゥを見ているだけで思わず大爆笑。展開されるギャグがブラックでシュールなのに、どこまでもほのぼのとしているのは、金田一蓮十郎の原作コミックのうまさに、『クレヨンしんちゃん』のシンエイ動画が絡んだゆえんであろう。マンボのリズムが耳に心地よいオープニング「LOVE・トロピカーナ」に、0930(オクサマ)が歌うエンディングも世界観にマッチしている。第1巻には第1話「はじまり・はじまり」、第2話「お昼寝ぐーぐー」の全2話を収録。(井上新八)
主人公のハレはジャングルに暮らす10歳の少年。
ある夜、酔っ払った母・ウェダが村の集会から"みなし子"のグゥを引き取って帰ってきた。神秘的な瞳と都会人のような白い肌を持つ美少女・グゥの登場で、ハレはこれからの同居生活に小さな期待を膨らませます。しかし翌朝目覚めるとグゥの顔が、何かもう、アリエナイ顔になってて…。
…といったトコから始まるハレの受難の日々を描いています。
回を重ねるごとにグゥの"何でもアリ"的な能力がエスカレートしていきハレを苦しめますが、この1巻で披露されるのは「顔が変わる」「人を呑む」「腹の中に異次元世界」「そこに日本人が2人住んでる」くらいです(既に十分すぎるか)。
「テーマ性が無い」という批判が散見されますが、そりゃ間違いです。グゥのド黒い行動や、ハレの騒がしいツッコミの陰に隠れがちですが、物語全体は「家族愛」や「親子の絆」といったテーマで貫徹されています。
この「ハレのちグゥ」の主要キャラには、不幸にも親子・家族関係に何らかの「キズ」を持つ者が多い。主人公のハレは母子家庭に育ち父の顔を知らないし、母・ウェダはハレを妊娠した事で勘当され都会の実家に反目している。幼なじみのマリィは物心つく前に両親を亡くしているし、グゥも両親がいないという「設定」(←本人談)だ。
そんなキャラたちが手探りで、不器用に、愛のカタチを少しずつ作り上げ、近づいていく。…パッと見の印象以上に、繊細なバランスの上で成り立っている作品だと思います。
テレビの中に広がるそこは さながら"愛と不条理のジャングル"。ちょいと、覗いてみませんか?
全編ブラックギャグの連発です。しかし、これを見て得るものは何もありません。
ただ笑うためだけの作品と思っていいでしょう。
原作を見ていない人は原作を見てから購入を考えた方が良いかもしれません。
グゥに振り回されるハレは毎回神経質すぎるほどにわめきたてますが(そこが神経にさわる人もいるみたいだけど)第1話、2話はまだおとなしいほうです。1話で一番笑ったのが、ハレのしているテレビゲーム(RPG)の画面でした。