ジョン・ケネス・ガルブレイスは、その長きにわたるすばらしい人生において、経済学にどっぷりとつかってきた。この大掛かりな論文の目的は、「罪なき欺瞞」、つまり、彼がフランクリン・ルーズベルト政権時代に実際に携わった現代アメリカの経済システムにおける、認識と現実とのギャップに焦点を当てることにある。深刻なテーマを扱っているにもかかわらず、本書はウィットとちゃめっ気のある抑えた表現が効果的だ。「独善的な信念と仕組まれたナンセンスを見つけることに、大いなる喜びがある」と彼は書いているが、明らかに彼自身が楽しんでいる。
現代社会における企業の支配的な役割は、そうした「罪なき欺瞞」のひとつの形式であり、一般にイメージされるように消費者や株主ではなく、経営者がどのようにして実質的な権力を維持しているのかを説明している。「所有者にふさわしい外見」にもかかわらず、資本主義は企業官僚主義に道を譲った。「それは、課題と報酬をコントロールする官僚主義だ。報酬は窃盗にも等しい」とガルブレイスは指摘する。
彼はまた、どのようにして、公共部門が民間部門によってコントロールされるのかを説明している。「国防総省が依然として公的部門であるにもかかわらず、その意思決定に対する企業の影響力について疑いを抱く人は少ない」。さらに金融界は、「大規模で活動的で見返りの大きなコミュニティーであり、強制的であると同時に巧妙に仕組まれた無視の上に成り立っている」という。そして、とくに連邦準備制度については、「もっとも権威ある欺瞞の形式であり、『もっとも優雅な現実逃避』である」としている。基本的には、連邦準備銀行は大きな権力と地位を有しているが、実際に効果の上がることはなにもしていないとガルブレイスは言う。そして、この点についてはささいな問題だと考えている。「彼らの効果のない役割が受け入れられ許しを得られるようにしよう」ということだ。
現在のガイドであると同時に、未来を形作るための助けでもある、この薄くて内容の濃い本には、人生の幕引きを迎えようとしている尊敬すべき年配者の知恵にあふれている。(Shawn Carkonen, Amazon.com)
自由は富の追求のためにあるかのごとく考えるに至った現代への警告書
★★★★☆
経済学の巨匠でリベラリストのガルブレイス教授が九十余歳にして著した書。
このエッセイを一言で言えば『西欧近代思想の根幹である自由の本質を忘れて、自由を富の追求のためにあるかのごとく考えるに至った人間が寄り集まった社会に対する警告の書』だろう。そうなったのは悪意なき欺瞞であると言っている。が、悪意なき(innocent)は違法でないという意味で、道徳的に純粋であるという意味はないだろう。そのようになったそれ以上の理由については語られてはいないが、果たしてミネルヴァの梟を待っていられるのだろうか。
値段の割りに・・・。
★★★☆☆
中央銀行の幻想に関する記述は面白かったですが、それ以外は特に印象に残っていません。文字も大きく、ページ数も多くないので、あっという間に読めます。値段の割りに内容は薄いので、あまりお薦めできません。
社会人なら当然実感している内容
★☆☆☆☆
社会人なら当然実感している内容。わざわざ難しく言うんじゃないよと言いたい。
「誰も語らなかった経済の真相」と言うからどんな真相だと思ったら、語らないのは社会人にとって当然のことだったから誰も語らなかった、もしくはブッシュのバックが怖いから誰も語らなかったと思う内容です。
確かに読みやすい分厚さで、つい買ってしまいそうになるのは否めませんが。
常識は非常識だ
★★★★☆
経済観念・市場の常識論を痛く突いている本書。
各種「・・・・主義」をまやかしと批判し、その欺瞞と
矛盾を批判主張。
皮肉もたっぷり。
エコノミストの予測をうそといい、金融政策での経済運営を
批判する。実に心地よいではないか。