受け取られる方が不快に思われるような、傷みのひどい本、見苦しい本などは扱っておりません。本品はカバーによく見ると細かい線が入っている程度で、あとは目立つような傷・汚れもありません。本文は使用感もなくよい状態です。気持ちよく鑑賞していただけるのではないかと思います。専用書庫にて保管しております。ご注文確定後、速やかに送付いたします。
19歳の私の感想
★★★★★
退学をして、ニューヨークを飛び出してからのホールデンの行動には、ホールデンが16歳であることを忘れさせられるものがあった。しかし、すごく大人っぽいことを考えたり、言ったりしているようだが、どこかまだ、子供なんだなと思い出させられる所がある。
私はホールデンが生意気な皮肉屋であるという印象を受けたが、読み終わった後にじっくり考えると、彼は本当はとても感受性が高く純粋なのではないだろうかとも思えてきた。純粋が故に、大人の世界に苛立ちを覚え、不安を感じていたのではないだろうか。
名前は聞いたことがあった。初めて読んだ。野崎訳で。
★★☆☆☆
J.D.サリンジャー(野崎孝訳)『ライ麦畑でつかまえて』(白水Uブックス)2009年3月で110刷. (1文1文が短いので、読みやすい)
冬の時期の、数日にわたるお話。
主人公の少年の頭のなかを―それもかなり秩序ない頭を―描いている。
感動はない。
共感する所もあるが、少年同様、そんな全面的に共感したくないし、
この小説自体に反発したい気もどこかにある。
いつか親になって、子をわずらわしいとか、理解に苦しむとか感じたときには、
そのときには、自身の少年時代の心理や、この話のことなんかを、
さっぱり忘れてしまっているのだろう。
今尚通用する世界観
★★★★★
語り継がれる悦本の中で、
本書は思春期の葛藤を鋭く書いている。
今尚通用する世界観をもっている。
サリンジャーの作品だからとか外国の作家だとか関係なく、
世界共通の話である。
特に、中学生などに読んでいただきたい。
キャッチャー・イン・ザ・ライ
★★★★★
本当に優れた物語というのは、物語の世界が深く、様々な解釈ができるし、人によって得るものも違うらしい。だとすると、この
「The Cather in the Rye」は、本当に優れた物語だ。
少なくとも僕にとって、この本は「全部読み終わった後に、それを書いた作者に電話をかけたくなる気持ちを起こさせる本」だった。
ある方面では、反社会的な小説だとか、犯罪者を生み出した小説だとか言われることも少なくないが、僕にとっては、この物語が、むしろコミットメントの物語だと思えた。つまり、「社会に組み込まれにくい人間を、社会へ導くための物語」ともとれるのではないか?ということだ。
主人公のホールデンは、まさに、青春まっただ中をもがき苦しむ少年である。彼の、子供でも大人でもない孤独な移行期、少年から青年への通過点が濃密に描写されている。大人の世界へ片足を突っ込み、イノセントな部分が失われていくのを感じながらも、まだイノセントな部分を信じていたい。しかし、社会という現実がどんどんわかってくる。現実を知っていながらも、まだそれを心の中のどこかで認めたくない自分がいる。現実がわかるだけに、現実を知るのが怖い。一歩を踏み出せない。口は達者だけれど、臆病で行動はできない。だから、強がってしまう。どんなことでも批判的になる。また、自分でものを考えることのできる人間だから、物事をすんなり受け入れることができない。自らの哲学を考えだせる資質があると、どうしても独善的に陥りやすい。既存社会のルールからは弾かれてしまう。何も考えることなくレールを走る周りの人間が、くだらなく思えてしょうがない。
そんなホールデンは、どんどんレールを外れていく。もう取り返しがつかないくらいに。物語が終わっても、彼が将来どのような道を歩むのかは全く分からない。まったく破滅の人生を送ったかもしれない。
しかし、彼は救われたんじゃないだろうか。
彼の言葉づかいは、友人に対しても、読者に対しても決してやさしくはない。それでも、僕は彼の愛情を感じずにはいられないかった。自らの葛藤の独白を通して、崖から落ちそうな人々を救う、優しい彼のまなざしを。
ホールデンの葛藤に寄り添い、自らをホールデンに重ねて共感するもよし。ホールデンの欠点と限界を認識し、自らを客観的に見つめなおすもよし。とにかく多くの示唆を得ることのできる物語だ。
青春の葛藤に正面から闘っている人は、必ず、読んで得られるものがあるはず。
「人生は競技だとも。たしかに人生は、誰しもがルールに従ってやらなければならない競技なんだ」
「将来のことについては、全然何の心配もしてないのかね?今にするようになる。しかし、その時になって心配しても、もう手遅れだ。」
「私は、君のその頭の中に、少し分別というものを入れてやりたいんだよ。君の力になってやりたい。できることなら、君の力になってやりたいんだ。」
「ホールデン…ひとつ、簡単な、多少しかめつらしい、教師根性丸出しの質問をするけどね、全てのものには時と場合がある、とは思わないか?」
「君が今、堕落の淵に向かって進んでいると思うと僕は言ったが、この堕落は特殊な堕落、恐ろしい堕落だと思うんだ。おちていく人間には、さわってわかるような、あるいはぶつかって音が聞こえるような、底というものがない。その人間は、ただ、どこまでも落ちていくだけだ。世の中には、人生のある時期に、自分の置かれている環境が到底与えることのできないものを、捜し求めようとした人々がいるが、今の君もそれなんだな。いやむしろ、自分の置かれている環境では、探しているものは到底手に入らないと思った人々というべきかもしれない。そこで、彼らは捜し求めることをあきらめちゃった。実際に探しにかかりもしないであきらめちまったんだ。わかるかい、僕の言うこと?」
『未熟な人間の特徴は、理想のために高貴な死を選ぼうとする点にある。これに反して、成熟した人間は、理想のために卑小な生を選ぼうとする点にある』
「いまに君も自分の行きたい道を見つけ出さずにはいないと思う。その時には、そこへ向かって出発しなければならない。しかも、すぐにだ。きみには一分の余裕もないんだから。君の場合は特にだ。」
「それから、これは君に言いにくいことなんだが、いったん君の行きたい道がはっきりと掴めたらだな、まず君のやるべきことは、学校に入るということだ。それはぜひそうしなければならない。きみは知識と恋仲にある身なんだ。そのうち、君にもわかることなんだが、いったんそのヴィンスン先生のたぐいを通り抜けてしまえばだ、そのあとは、君の胸にずっとずっとぴったりくるような知識に、どんどん近付いていくことになる。もっとも、君の方でそれを望み、それを期待し、それを待ち受ける心構えが必要だよ。」
「なによりもまず、君は、人間の行為に困惑し、驚愕し、激しい嫌悪さえ感じたのは、君が最初ではないということを知るだろう。その点では君は決して孤独じゃない。それを知って君は感動し、鼓舞されると思うんだ。今の君と同じように、道徳的な、また精神的な悩みに苦しんだ人間はいっぱいいたんだから。幸いなことに、その中に何人かが、自分の悩みの記録を残してくれた。きみはそこから学ぶことができるーきみがもしその気になればだけど。そして、君に他に与える何かがあるならば、将来、それとちょうど同じように、今度は他の誰かが、君から何かを学ぶだろう。これは美しい相互援助というものじゃないか。こいつは教育じゃない。歴史だよ。詩だよ。」
「僕は何も、教育があり学識がある人間だけが世の中に価値ある貢献をすることができるなんて、そういうことを言うつもりはない。事実、そうじゃないんだから。しかしだ、教育や学識のある人間の方が、溌剌たる才知と創造的能力が最初からあるものとしてだよ-不幸にして、そういうのは少ないんだけどね-しかし、その場合には、単に溌剌たる才知と創造的能力がある人間よりも、はるかにはかり知れぬほど価値をもった記録を残しやすい、と、こういうことは言えると思うんだ。そういう、教育や学識のある人間の方が、自分の考えを表現するにも、だいたいにおいて、明確に表現するし、たいていは、自分の考えをとことんまで突き詰めていく情熱をもっている。その上-これが一番大事な点だが-十中八九、そういう人の方が、学識のない思想家よりも謙虚なものだ。わかるかね、僕の言うこと?」
「学校教育には、他にもまだ、君の役に立つことがある。相当のところまでこれを続けていけば、自分の頭のサイズはいくつかということが、わかりけてくるんだ。なにが自分の頭に合うか、それから同時に、何が合わないのかということもたぶんね。しばらくするうちに、特定のサイズをもった自分の子の頭には、どんな種類の思想をかぶったらいいかということもわかってくる。1つには、そのために君は、自分に似合わない、自分にふさわしくない思想を、いちいち試してみるという莫大な時間の浪費を節約できることにもなる。きみは、自分の本当の寸法を知り、それに合わせて自分の頭にかぶるものを選ぶことができる。」
読まなくてもいい
★☆☆☆☆
読まなくても特に支障ない。無理して理解する必要もない。
これよりも本質的なものは、星の数程あるし、
これよりもっと読まれるべき作品が沢山あるはずだ。
村上某訳はもってのほか。