青函トンネル工事に携わった人々の人間模様を描いた東宝創立50周年記念超大作。昭和29年、青函トンネル技術調査団の阿久津(高倉健)は、青森に赴いて工事が技術的に可能であると中央に答申。やがて工事は着工され、阿久津はトンネル堀りのベテラン源介(森繁久彌)や青函連絡船の事故で両親を失った仙太(三浦友和)らとともに、苛酷な作業に従事していく…。
『八甲田山』『動乱』に続いて高倉健主演作を撮ることになった森谷司郎監督は、およそ30年にわたるプロジェクトを簡略化しつつも丁寧に見せこみつつ、北の自然の猛威などを圧倒的映像で描出し、大作ならではのスケール感を醸し出している。木村大作のカメラワークも素晴らしい。また、男たちを陰で支える女の代表として、吉永小百合が見事な存在感を披露してくれている。クライマックス、苦悩と犠牲の果てにトンネルが貫通したときに健さんの頬をつたった涙は、まさに本物であった。(増當竜也)
想い出
★★★★★
北海道に転勤して、暫くして映画の封切りだった
雪の降る前だった、それでも慣れるのに一生懸命だった
雪の日に汽車に乗ったら、木古内と云う駅で降ろされた
一杯呑んで帰ろうと、一軒の飲み屋に入った
あんたの友達、このあいだ来たよ、と見知らぬ女に言われた
私の話す関西弁が気になったようだった
今度一緒に来るわと言って、温もった気持ちと心で帰った
トンネルもいいけど、連絡船も懐かしい
あの頃を想い出す一本だった
瀬戸内の流離い人
長い長い…
★★★★★
ラストに近いところの健さんと吉永さんの長い長い無言のシーンは、ただただ涙でした。いい映画だと思います。
「大作」ゆえの難しさ
★★★☆☆
完成までに20数年を要した青函トンネルの史実をモデルに描く大作。
しかし、日本の「大作」にありがちな緊張感のなさが、やはりこの映画にも感じられる。物語のどこにスポットをあててドラマを組み立てるのか、そのポイントがはっきりとしない。ストーリーの本筋は青函トンネル完成のために、あえて家族をも犠牲にして仕事に使命感を燃やす主人公(高倉健)の苦悩にあることはわかるが、その「苦悩」があまり観る者には伝わって来ない。
また、「最強の共演者」としてキャスティングされているのであろう吉永小百合の役処も、取って付けたようで、うまく機能していない。単に高倉健と吉永小百合を共演させたかったという制作側の「欲望」だけを感じてしまう。健さんの苦悩を出すには、健さんの妻役にこそ吉永小百合を当て、仕事と家族との葛藤をもっと顕在化されるべきだっただろう。
さらに言うならば、戦艦大和、伊勢湾干拓と並び、時代の変化を見抜けなかったが故の「予算の無駄使い」(一般に「昭和の三大バカ査定」と言われているが)とされ、難事業であったにも関わらず、完成時には決して「祝福」されなかった青函トンネルとその関係者の「悲運」も同時に描くべきだったように思う。
扱う題材や舞台の良さを、脚本構成や編集作業が生かし切れていないようだ。史実を追いながら同時に何を物語のポイントとしたいのか、それがきちんと考えられていないと、このような散漫な内容になってしまうという、残念な映画の典型であるように思う。
男たるもの、の意味
★★★★★
こういう映画を馬鹿にしたり、茶化したりするのって簡単なんですよね。
要領が悪いよ、人生もっと楽しまなくちゃ。視野狭窄になって勝手に自分を苦しめてるよ。
何をトンネルに熱くなってんだか、って。
確かにメッセージ性が強くて、くさすぎるよ、とも思ったが、僕の場合、この映画を茶化したくなるのは、大真面目に堅物を貫き通せる人間を目の前にした恥ずかしさの裏返しだった。
史実との距離(どこらへんを誇張して、どこらへんを削ったのか)がまだつかめてないので、調べる必要があるけど、高倉健に惚れてしまった。こんな言葉使うの恥ずかしいけど。
こういうかっこよさもあるのかって、こういうものにかっこよさを感じるようになったのか、って見終わってからつくづく思った。
う〜ん…
★★★☆☆
高倉健さんのファンです。森谷史朗監督の「二百三高地」も大好きな作品です。しかし、この「海峡」は凄く陳腐だと感じました。脚本が悪いのか演出が悪いのか…。