『The Fellowship of the Rings』から始まったベストセラーの壮大な冒険物語はこのように続き、『The Return of the King』で魂を揺さぶるようなクライマックスをむかえる。
As with "Ramayana" by William Buck, we find that every creature has its function and that there is not black and white in this purpose. Frodo alludes to this when he thinks of Gandalf, Aragorn, and Gollum in the part they play.
本書は映画版の「旅の仲間」の後部から「王の帰還」の前部と対応します。すなわち、ボロミアがピピンとメリーを助けるためにオークと戦って命を落とす場面から、フロドがゴラムの姦計によりシェロブに襲われ、サムがフロドの遺志を継いで指輪棄却の旅を開始する場面までです。この範囲で映画と原作の差異から感じた点をいくつか挙げましょう。
・映画ではファラミアの描写を大幅に省略・・・原作では彼は非常に礼儀正しく、賢く描かれています。兄のボロミアが指輪の誘惑に負けてフロドを襲ったことを推測し、さらに指輪を前にして自分の力を試さなかったのです。この部分を削除してはファラミアが哀れです。第3部で彼がエオウィンと結ばれる際の重みが薄れてしまいます。
・吹き替え(戸田奈津子女史による)のサムの台詞がやや不適切・・・サムはフロドの忠実な庭師で、瀬田氏・田中女史による本書の邦訳では彼はフロドのことを常に「フロド様」、あるいは「旦那」と呼びます。映画版「二つの塔」では二人が仲間と別れた後で、激昂したサムがフロドに対して「フロド!おれは!」と叫ぶシーンがあります。原作ではサムはどんなに激しても主人を名前で呼びつける、自身を「おれ」と言うことはありません。二人の設定関係からしても、サムは父親の代からバギンズ家に仕える庭師で、主人をこのように呼びつけること、主人に対する自称に「おれ」を使うことは適切ではないと考えられます。
こうしたことを、原作を読んで考えるのも楽しいのではないでしょうか。
暗く辛い道のりと次第に重さを増していく指輪がフロドを苦しめますが、そんなフロドを勇気付け笑わせてくれるサムワイズ。そして勇者サムワイズの誕生! 物語はいよいよ・・・!