東京で小学校の教師をしていた隆之(大沢たかお)は次第に視力を失うベーチェット病に冒されていることを知り、職を辞して故郷の長崎に帰ってきた。やがて恋人の陽子(石田ゆり子)が後を追って長崎に現れ、隆之の家に留まることに。病状が徐々に悪くなっていく中、彼は聖福寺で出会った林老人(松村達雄)から仏教の“解夏”の話を聞かされる……。
さだまさしが記した同名小説を原作に、『がんばっていきまっしょい』などの俊英・磯村一路監督が手がけた透明感あふれるラブ・ストーリーの秀作。いわゆる難病ものにありがちなドラマティックな描写を避け、淡々とした日常の中から、やがて視界を失う運命にある男と、それを見守る女の、焦燥と無常観の果てに導き出される慈愛を描出していくあたりが秀逸。キリスト教的風土と仏教の教えも違和感なく同居し、またそこに説教臭さは微塵もなく、ごく自然に心に染み入る構成になっているのもすがすがしい。(的田也寸志)
黄昏る2人の姿と祈る恋人
★★★★☆
迫り来る失明の日までの日常を静かに追った作品。長崎の美しい風景とそこで暮らす人々の交流がコミカルで暖くどれも印象に残ります。BGMも品が良く、泣かせようといったベタな演出はほとんど感じられません。「解夏」という悟りを受け入れるのは勇気がいりますが、人生の岐路に立たされている人々にはそんな選択する余地さえないのが現実ですよね。少しの希望を胸に残された人生を全うする事の尊さと愛する人の負担になってしまわないかという不安はよく理解出来ます。2人の関係の描かれ方が薄いなどの物足りなさは確かにありますが、汽笛や鐘の音色、長崎の人々の暮らし、息子を想う母親の心情などが丁寧に描かれているので全体的には良い作品です。長崎の青い空に心が洗われる様な気がしました。
一人では生きられない。
★★★★★
この物語は、ひとりの青年がベーチェット病を発症し、失明するまでの葛藤を描いている。
彼には、彼のことを愛する恋人、家族、友人がいる。正直なところ、とてもうらやましかった。僕は、一人を好んできた。一人は気楽だ。
でも、何か困ったときに一人だと簡単に転けてしまう。人は支え合ってしか生きられない。
人間関係の悩みはつきないが、それから逃げる訳にはいかない。
物語、映像ともに奇麗すぎるくらい奇麗である。病気という人生の坂に対する前向きな姿勢には好感が持てる。
ちなみに、石田ゆり子が大好きなことも多分に影響している気がする。
素直な心で観るのがいいですね。
★★★☆☆
さだ作品から離れて久しかったので原作を読んだのが今年の3月、その後DVDを観たのが9月に入ってからなので、そうとう遅くなったのですが、みなさんのレビューを読ませていただくと、はっきりと賛否・好き嫌いが分かれていますね。ざっと読ませていただいて感じたことを書いてみます。
映画をひとつのエンタテインメントとして評価すると厳しい点がついて、(さだ氏の原作も含めて)原作者・製作者が伝えたかったメッセージに対して素直に心開いて観ている方は感動されているようです。
ご存じのように短編集である原作の、収録作の中でももっとも起伏が少ない物語のように感じるのですが(他の「秋桜」「水底の村」「サクラサク」のいずれもが映画化したら絵になるだろう愛らしいストーリーなのです)、ではなぜ、この作品が表題作に選ばれ、映画化、ドラマ化されたのか、ということに思いを馳せてみると、一見、さらっとした内容の奥に、人生、病苦、愛、優しさに帯する深い洞察があり、それを凝縮してひとつの作品に昇華させんとした作者の意図があったのだと思えて来ます。
映画は、一部の演出を除いて、台詞のひとつひとつも極めて原作に忠実に作られています。それは、原作を素直にとらえ、その繊細さを極力生かそうとされた監督の送り手としての良心ようにも思えます。坂(階段)の多い長崎での撮影は、スタッフにとって本当に大変だったようですが、画面からはその苦労自体はみじんも感じられません(メイキングで舞台裏を知るまでは)。また、音楽の渡辺氏も、さらに映像化された作品のよさを最大限引き出すべく、コンマ数秒単位で劇伴を調整されています。(あまりに自然に映像にマッチしているので、そうした苦労をまったく感じさせないことがその成功を物語っています)
タイトルの「解夏」は、仏教修行者が、夏(雨期)の修行・夏安吾(げあんご)を経て、一つの悟りを得る(人生の悩みのひとつから解脱する)ことになぞらえているのですが、解脱は執着を離れた無我につながります。主役の二人をはじめ、役者さん(やその演技)への好き嫌いは当然あるでしょうが、そうしたことへのこだわりを一旦横に置いて、素直に心を開いた人にとっては、必ずしも画面には現れていない、原作者や制作スタッフの無我さ・自己主張のなさが、言葉にならないメッセージとして伝わり、感動を呼び起こすように思います。
たしかに精密なCGやアクションによる派手な演出に慣れてしまった私たちから観ると、物足りないという印象は免れないとは思うのですが、噛み締めるほどに深い味わいを得ている方がいるのも事実。何より、本映画作品に対してこれまでに46ものレビュー、原作にも50のレビューが投稿されていることから想像しても、話題作・問題作のひとつであることには間違いありません。
石田ゆり子じゃなかったら
★★☆☆☆
ベーチェット病という、視力が減退し、やがて失明する難病に冒された教師が故郷に帰り、長崎の街、母親、友人、そして恋人の支えによって、光を失う自分を静かに受け入れていく...そんなストーリー。
結果とても煮え切らない作品でした。静かで淡々としているのは日本映画の特徴であるとは言え、そうさせすぎで映像から伝わってくるものがあまりに希薄。しかも二人のシーンが味気なさすぎて、絆がよく見えてこない。プラトニックさを超えて、物足りない感じです。
必要な説明をかなぐり捨ているのに、無駄に冗長なシーンがあったりする。主人公の目だけじゃなく物語の焦点も随時ぼやけまくりなんです。ラストも微妙でしたし、言うなら恋人がなぜモンゴル(笑)にいたのかが全く分からない。ただ、完全に失明した時、見えなくなるという恐怖は無くなるというセリフは良かったです。石田ゆり子に星2つ。
松村達雄が圧巻!透明感あふれる秀作
★★★★☆
作品そのものはいわゆる難病ものにあたるのだろう。視力が段々と落ちてくる男と、それを支える女の純愛物語。磯村監督の作品は山手線が走る東京の絵は映えないのに、地方に来ると突如として輝きが増す。観ているほうのイメージもあるのだろうが、今回も長崎の海と空の爽快さに胸打たれた。大沢たかおも石田ゆり子もお涙頂戴、的な「泣き」の演技ではなく、淡々としているところがよかった。でも、松村達雄演じる大学教授がいなかったら、どこまで「解夏」の意味が真実味を帯びただろうか。メイキングで大沢たかおも言っていたが、昭和時代の俳優には作品全体を理解しようという凄味がある。松村が書く「解夏」の文字と思わず聞き入るその意味。このシーンがあったからこそ、ラストシーンの感動がグッと増した。松村達雄はこれを最後に旅立ってしまったが、最後まで映画全体の舵取りをしていたことに映画俳優としての魂を感じる。個人的に懸念していた「さだまさしワールド」感は薄く、磯村色がよく出た透明感あふれる秀作である。