戦後その思想は、日本人の正論となった
★★★★★
なぜ日本人が世界に覇を唱える、対米総力戦に突入していったのか。
一体誰が、その理念と思想を発案し、大衆へと浸透させたのか。
これまで何となく語られていた概念が、実は1人の情報官から発せられていた
という驚愕の事実が明らかになっている。
情報官 鈴木の言葉が載ったパンフレットは、出版物として日本史上最高の
発行部数になったということからも、鈴木が大衆に与えた影響は計り知れない。
それだけ鈴木の言葉には力があり、また大衆も共感を覚えたと言うことだ。
なるほど。確かに言われてみれば、軍事的な要素を除けば、
鈴木の主張は戦後、「日本人の正論」の位置を占めている。
「こういうことは、鈴木が言い出した、あるいは大衆に広めたのか・・・」
とハタと思うことが本当に多い。
敗戦によりその業績は全て否定された。
しかし、極貧農家出身の努力家の苦学軍人が、日本人の思想に与えた影響は、あまりにも大きい。
戦時研究に一石を投じた力作
★★★★☆
私はそもそも恥ずかしいことに鈴木庫三のことは本書を読むまで全く知らなかったが、一方で「小ヒムラー」と呼ばれ、戦時の言論統制のシンボルのように批判され、他方で、困窮生活と苦学を経て陸軍将校となり、東京帝大へ派遣され論文を多数刊行するという「知識人」としての顔を持つ鈴木という人間、そして彼を翻弄した戦前、戦中の歴史のダイナミズムに魅了された。何と言っても本書が成功している最大の理由は、先行研究や俗説で言われている、鈴木=言論統制という図式を、鈴木という人間自体の理解を欠いた、一面的なものであると快刀乱麻の如く否定した点にある。この中で、鈴木の日記が凄まじい威力を発揮しているのだが、あとがきに筆者が書いているとおり、この日記自体も劇的な経緯を経て筆者が閲覧することができたものであり、研究という行為のダイナミズムを本書を読んでほど感じたことはない。
本書には弱点はある。本書は鈴木の日記を徹底活用しているが、これは諸刃の剣である。当然、自分にとって都合が悪いことは日記に書かないのが人間の性である。当時の言論人達が鈴木を批判をする中で挙げた鈴木の言動の存在について、日記に言及が無いことを理由に否定しているような箇所が散見されるが、これはやや詰めが甘いのではないか。また、400ページを超えるという分量もやや過多だと思う。とは言え、上述のとおり、本書は画期的な学術的意義を有する作品である。また、本書は引用箇所なども明示しており、学術書としても通用する水準になっている。中公新書には今後もこのような意欲的な作品を出していって欲しい。
インテリジェンス・マスメディアの戦争責任
★★★★★
マス・メディアの語る太平洋戦争中の言論弾圧は、陸軍による恣意的なものであったのか?それとも戦後マス・メディアが翼賛的に戦争参加した事に対する捏造であったのか?茨城の農村からたたき上げられ、旧制中学から陸軍士官学校から情報官として活躍した鈴木庫三を中心に、報道統制とマス・メディアの関係を客観的に描いた本。又、戦後ジャーナリズムによる戦争責任の放棄と無反省も含めた、マス・メディアの問題にも鋭く抉っている。
鈴木の勉学に対する努力と、それを物にする能力の高さにも驚かされるが、戦前の陸軍内部の学閥の問題、特に陸軍大学出身者と、士官学校のみの出身者との軋轢と断絶は、現在でのキャリア官僚制度と変わらないというのには呆れる。
そして鈴木の軍隊での経歴で異様なのが、日大及び東大の聴講生であり、陸軍自身がそういった一般大学への門戸を開き人材育成を行っていた事実にも驚かされる。その中で、インテリジェンスと教育いう重要な媒体を元に国防を担おうとしていた鈴木と、軍部と迎合して批判勢力としての地位を喪失しつつあったマス・メディアとの関係を見ると、戦後マスコミの反省が口舌でしかない事を考えると、マスコミを育成できなかったこの日本の問題が垣間見える。
戦後の陸軍悪玉論の発端とも言える中央公論社や講談社の軋轢が、実は海軍と陸軍との縄張り争いも絡んでいることや、戦後に至ってもデマゴギーでしかない日本のメディアと鈴木庫三という情報のエキスパートとの関係を見ると、権力に迎合するマスコミは戦前も戦後も体質に全く変貌が見受けられない。それは、マスコミが鈴木をしてアジテーターと罵倒(批判ではない)し、自らのデマゴギー性を隠蔽してしまい、戦後になり軍部批判を行う厚顔さを現在のマスコミは笑う事ができるのか。
評者は、作中に掲載された鈴木庫三を取り囲む彼の部下達の笑顔の写真からは、鈴木庫三の人間性を見る事はできるが、デマゴギー化したマス・メディアが捏造した鈴木庫三からは、現在のネットより「マスゴミ」と揶揄される作られた虚像しか見る事が出来ない。寧ろ、デマゴギーの鈴木庫三の造詣こそが、醜いマスコミを見るようである。
戦前の言論統制が軍部の横暴によるものではなかったことを暴いた良書
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本書は、戦後、戦中に言論統制者として恐れられたとする鈴木庫三少佐の人物像や活動にスポットライトをあて、また、雑誌の販売数などの統計をあげることにより、戦後につくられた軍部の横暴の虚妄を排したといえる本です。
この本を読んで、「ペンは剣より強し」といいますが、いかにペンが簡単に嘘を書き、事実をねじ曲げるかということを改めて考えさせられる本となっています。
また、鈴木少佐の人生にスポットライトを上げることにより、戦後の言論界の虚言だけでなくレトリック、たとえば、軍隊内では、その兵隊の学歴、家柄は関係なく、軍隊内の民主主義について、戦後言論界の巨人丸山正男が「疑似民主主義」と表していることなど、そういうことを暗に批判しています。
この本を読んで、やっと日本にも戦後レジュームの脱却をはかり始めたのだろうかと、戦前、戦中、また、軍のことを中立的な立場で書くことができる言論空間があらわれたことについても評価できると思いました。
ただ、本書は、かなりの分量もあり、鈴木少佐の日記の引用もあることから読みにくい部分もありますが、好著といえます。
ぜひ、ご一読を
マスメディア・教育・倫理という戦後日本の急所に取り組んでいた将校
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この著書を読んで、皆さんのレビューを読んでみると、自分の思ったことを見つけたり、「そんな風に読むんだ」という気づきがあったが、自分としては、今の状況から考えると、マスメディアと教育、その二つの根底にあらざるを得ない倫理、という三つの主題と格闘した鈴木庫三の生き様は、それら三つの主題を台無しにして省みない現在の日本のありように強力な反問として鋭く現れているのを思った。マスメディア・教育・倫理の価値を安くした末に富み、栄え、衰え始めた今、それら三つを安くした人々への認識と、その三つの値を高めていく必要を考えるためにこの著書はもっと読まれるべきだと思う。名著。