内面告白型小説。
★★★☆☆
ヴァージニア・ウルフ(1882ー1941・ロンドン生まれ)の「ダロウェイ夫人」。
最初は、マダムの豪華な生活の話かと思ったが、主要登場人物の内面告白型小説のようだ。
語り部は、コロコロと独白させる人物を変えるので、うっかりしていると、違う人の話になっているので、要注意だ。とにかく登場する人たちの数には圧倒される。瞬間に登場する人も多いが、主要な登場人物に近い人も多いので、全く無視して読んでいると、読みづらくなる。(登場人物が固有名詞で出てくるが、まあ、余り関係ない人も多いが、時々、メモをしたほうがいいかもしれない)。
題名はダロウェイ夫人だが、彼女を取り巻く人達の独白劇といってもいい。題名から判断して軽めかなと思ったが、流して読むには注意が必要。
当時の社交界の重要な部分とやや批判的な部分が描かれている。(ダロウェイ夫人に代表される人たち←→ピーターや若いころのサリー)
内面告白が、語り部の気まぐれで次から次へと変わっていく。たとえば、ダロウェイ夫人→ピーター→セプティマス→レチア→セプティマス→ブルートン令夫人→リチャード→ダロウェイ夫人→キルマン嬢→ダロウェイ夫人→キルマン嬢→エリザベス→キルマン嬢のように。。。
主要な登場人物
ダロウェイ夫人=クラリッサ・ダロウェイ(51歳)、
リチャード・ダロウェイ(夫・議員)
エリザベス(娘)、
ヒュー・ウィットブレッド(クラリッサの幼馴染)
イーヴリン・ウィットブレッド(幼馴染の妻)
ピーター・ウォルシュ(若き日の恋人・インド行きの船で知り合った女性と結婚)=ウォルシュ氏
サリー・シートン(クラリッサの女友達)=金持ちと結婚し、ロセッター夫人・マンチェスターの豪邸に住む
セプティマス・ウォレン・スミス(第一次大戦から帰還した青年・30歳・不安な男)=スミスさん
ルクレチア(妻・24歳・イタリア人)=レチア=スミス夫人
登場する人たち
ジャスティン・パリー(クラリッサの父)、シルヴィア(クラリッサの妹)の死、デイジー(ピーターの妻?)とオード大佐、ダニエルズ嬢(先生?)、スクロープ・パーヴィス(ダロウェイを少ししか知らない)、フォックスクロフト(息子が死んだ)、ベックスバラー夫人(ジョーンが死んだ・浅黒い綺麗な肌と美しい眼)、(思い出として)シルヴィア、クレッド、ウィリアム伯父、ミス・キルマン(エリザベスの家庭教師だが、ロシア人・オーストリア人のためなら)=ドリス・キルマン、ミス・ピム(花屋・マルベリー)、エドガー・J・ウォットキス(鉛管に片腕通した)、ホームズ先生(フィルマー夫人のかかりつけの医者・スミスの医者でもあるが)、老判事のジョーン・バックハースト卿、花売り女モル・プラット、セアラー・ブレッチリー(赤ん坊を抱いた)、ブレッチリーおかみさん、(メアリ王女・エドワード老王)、エミリー・コーテス(王室を心に描いた)、ボウリー氏(小柄)、亡きエヴァンズ(柵の後ろにいる・セプティマスの上官・おとなしい・戦死)、メイジー・ジョンスン(19歳)、デンプスター夫人、キャリー・デンプスター、パーシー(呑み助)、ベントリー氏(飛行機を見ながら考えた)、ルーシー(ダロウェイ夫人のメイド)、ミセス・ウォーカー(料理女・アイルランド生まれ)、ブルートン夫人、ミリセント・ブルートン、マニング、キンロック・ジョーンズ(の家?)、ヘリナ叔母さん、老家政婦エレン・アトキンズ、オールドミスのカミングス姉妹、ジョーゼフ・ブライトコプフ=ジョーゼフ老人、イーリス・ミッチェル、ウィリアム・ブラッドショー卿(医者・父は商人)、ブラッドショー令夫人、ミス・イサベル・ポール、べッティとバーティ、ウィットブレッド家(石炭商人)、キンダースリー家、カニンガム家、キンロック・ジョーンズ家、侍女エディス、令嬢ヴァイオレット、ミス・ポール=イサベル・ポール嬢(シェイクスピアについての演説・セプティマスが恋)、キーツみたいな人、ブルーヴァー氏(商会の支配人)、何とかアメリア、トムとかバーティ、フィルマーの奥さん=フィルマー夫人、フィルマー夫人の娘(赤ちゃんを産む)=ピーターズ、アグネス(メイド)、ブルートン令夫人(リチャードに関心あり)=ミリセント・ブルートン(将軍のロデリック卿、息子はマイルズ卿、その息子はトルバット・ムーア卿の娘)、ブルートン令夫人の秘書役ブラッシュ嬢(ミリー)=ミリー・ブラッシュ(リチャードに関心あり)、パーキンズ(召使)、イーヴリン(召使)、モーティマーとトム(ブルートンの兄弟)、ドゥボネット(宝石店)、エリー・ヘンダーソン(クラリッサがパーティーに招待しない)、マーシャム夫人(エリーを招待してと手紙)、ヒルベリー夫人、ドルビーさんの学校、ウィティッカー師、(ポープ、アディソン)、大蔵省を退職したフレッチャー氏、王室顧問弁護士の未亡人ゴーラム夫人、ウィリアムズ夫人、新聞売りの子供、年寄りのブライトコプフ、バージス夫人(ピーターの信用する)、チャールズ・モリス、チャールズ老人、エレーン嬢、モリスのおかみ、ウォーカーのおかみさん、パーキンソン夫人(夜会係り)、バーネット夫人=年老いたエレン・バーネット、ラヴジョイ夫人、アリス嬢、ウィルキンズ氏(夜会係り)、ジョーン・ニーダム卿と令夫人=ウェルド嬢、ウォルシュ氏、エリー・ヘンダーソン(クラリッサの従妹・貧乏)→(イーディス)、老レクサム卿、レクサム令夫人、ギャロッド大佐ご夫妻、ボウリー氏、ヒルバリー夫人、メアリ・マドックス令夫人、クィン氏、ラルフ・ライオン、老ハリー卿、マウント夫人とシーリャ、ハーバート・エーンスティ、デーカーズ夫人、クララ・ヘイドン、ダラント夫人とクララ、トゥルーロック嬢とエリナ・ギブソン、ウィリー・ティットコウムとハリー卿、ヒルバリー老夫人、ブライアリー教授(ミルトン論じる)、小柄なジム・ハットン、ゲイトン卿とナンシー・ブロー=ブロー嬢、老嬢ヘリナ・パリー(80歳すぎ・70年代のビルマを知っている)、ミリー・ブラッシュ、サムプソン卿、エレン・アトキンズ(若かりしサリーを叱る)、首相とブルートン令夫人。
※重複しているものもあります。
ブアトン(地名)。
複眼的「意識の主体」で多彩な人間模様を綴った実験小説
★★★★☆
第一次世界大戦直後のロンドンを舞台に、その日の晩にパーティーを催す事になっているクラリッサ(ダロウェイ夫人)を中心に、登場人物達の意識の流れを丹念に追う事で、様々な人間模様や人生の一断片を描いた作品。地の文が全くないと言う実験小説でもある。
政治家の夫人クラリッサは50才過ぎだが、精神的処女と言って良い程、無垢で頑なで残酷であり、感傷的で夢見る乙女の様な社交家。当日の朝、突然現われる元恋人のピーター。理論家肌のピーターは結婚直前にクラリッサの不可思議な拒絶に合った苦い過去を持つ。しかし、30年経っても変わらぬクラリッサへの想い。やや類型的な設定だが、ピーターと同年代の私は妙な説得力を感じた。また、戦争の後遺症で心を閉ざすセプティマスの妻レーツィアの苦悩も時代を反映しているし、原因を別にすれば現代に繋がる問題であろう。クラリッサの若い頃からの友人で、奔放な言動を取るが聡明なサリー。真逆な性格を持つ同性の二人が(性的意味も含め)惹かれ合うのは常套的とも言えるが、クラリッサの謎めいた性格の強調手段だろう。以下、登場人物達の意識の披瀝が連綿と続く...。
絶え間なく「意識の主体」が変わる中、登場人物間の関係は勿論、恋愛観、哲学的考察、ロンドンの初夏の庭園の牧歌的風景、死生観、階層社会等の多彩な事物が切れ目なく綴られる。読んでいて、H.ジェイムズ「鳩の翼」を思い出したが、これ程多くの「意識の主体」を持った小説にはお目に掛かった事は無い。この記述形式の成否は兎も角、セプティマスやピーターの独白の一部には共感を覚えた。また、ダロウェイ家の家庭教師キルマンの独白もクラリッサの俗物性を浮き彫りにして光る。最後に様変わりしたサリーの母性を強調している点もクラリッサとの対比で巧い。ちなみに、セプティマスの造形は作者自身の投影の様に映ったが...。
英文でしか我々に伝わらないこと
★★★★★
のっけから偉そうなことを書くようだが、日本語版「ダロウェイ夫人」はなっていない。サイテーだ、といっていい。
こう書いておいてなんだが、「仕方ないのかなあ」とは思うのだ、この洋書を読んで。
ウルフ独自のまろやかで繊細な文体、というのは我々日本人が使う日本語では表せないのであろう、ということを本書を読んでわかった。本書におけるウルフはもしかしたら「詩人」を意識していたのかもしれない。
だがウルフはあくまで「小説家」である。どこかで読んだが、「ノヴェル」に代わる「小説」の呼称を真剣に考えていた時期があったそうなのだ。それは当たり前のこと。というのも、「オーランドー」にせよ「灯台へ」にせよ、「既成の『小説』」のくくりに入りきらない「文章」をウルフは作り続けていたからだ。「ミセス・ダロウェイ」も例外ではない。
読み手である我々としては、本書をポエムだろうがノヴェルだろうが、どうとらえてもいいのかもしれない。が、「既成の『小説』」のくくりに本書を入れてしまうのは、ウルフに対する冒なのではないだろうか。
それほど、本書は優れている。冒頭に書いたが、日本語版「ダロウェイ夫人」なんか読まなくていい。あれを買えるお金があるのなら本書を読むべきだ。それほど難しい英単語は出てこない。
So Let's Try IT.
映画『めぐりあう時間たち』
★★★★★
映画の原作にもなっているものです。
邦訳されたものは呼んでいらっしゃる方も多いのではないでしょうか。
原文は、とても難しいです。
しかし英語独特の言い回しなど口語体で生き生きと描かれていて、
とても面白いと思います。
時間の万華鏡
★★★★☆
くるくると万華鏡を操作するように多重な登場人物とその時間が文中を行き来する。平行しながら中心にいる人物と周辺の多数の人物があらゆる角度で交差する独特の構造に、まずは驚く。これほど複雑で入り組んだ構造なのに、いささかの違和感もなくスムーズに場面や人物の視点が移動する。自在な時間の表現に圧倒されるが、その世界観に一度引き込まれたらもう止まれない。
読み始めはその構造に慣れるまでなかなか作品中に入ってゆけない。かなり読書の訓練を要する小説だと思う。購入して二年、ずっと積ん読になってた本だ。それを再び読んでみようと思ったのは、大江健三郎が賞賛していたからなのだが、大江作品を読んだ後だとフシギに作品にすんなり入ってゆけた。だた、原文もモザイクのような文体なのだろうか、訳がぎこちなくわかりにくい箇所が散見されるのが難点。新訳が待たれる。