「儀式」と「儀礼」から捉えるヒト、社会、国家の本質
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「人間はなぜあいさつをするのか」という単純な疑問を動機としてこの本を購入したのだが、その中身といえば、出発点となる「儀式」「儀礼」の定義から始まり、そこから派生していく体系の複雑さ、そして多角的な論点を丁寧に整理して発展させていくゆえ、非常に学術性の濃い内容となっている。
社会を、日常と非日常(儀式)の対立とするのではなく、「儀式」と「遊び」の間に位置するものと捉え、ヒトはどちらにも偏りすぎず、バランスをとりながら、社会秩序が保たれている。日常の不確実性ゆえ、ヒトは「真実」を求め儀礼に関わり、反動として「嘘」を求め遊びに接するという。
また儀式の強い拘束性ゆえ、それは国家の発生以前から存在し、そして、儀式を盛大に発展させていった政治組織が、国家の起源でもある。儀式は、パフォーマンスや何らかのメッセージを発信するゆえ、国家の統合に不可欠なものであり、常に新たな創造や補強を繰り返していく。しかし、儀式は拘束だけでなく、地位といった社会的束縛からの解放を与えるものでもある。
このように、儀礼や儀式は、語るうえで分析すればするほど、「両義性」「矛盾性」という言葉とは切り離せないに関係であることがわかる。
「人間はなぜあいさつをするのか」といった単純な疑問から「人間は儀式的動物である」という命題まで扱う本書の儀式、儀礼への論理的追求は、誠に多くの知識と教養を与えてくれる有用な書である。