事件簿の1つを紹介
★★★★☆
中坊公平が扱った14の事件が記されています。そのうちの1つである森永ヒ素ミルク中毒事件について、概要を紹介します。
〈事件の概要〉
森永乳業が販売していた粉ミルクにヒ素化合物が混入しており、乳幼児の間に、原因不明の奇病が発生し出したという事件である。
〈冒頭陳述の一部〉
昭和30年当時、被害者は原因不明の発熱、下痢を繰り返し、次第に身体がどす黒くなっていき、お腹だけがぽんぽんに腫れ上がってきました。そして夜となく昼となく泣き続けたのであります。そういう場合に母親としては、なんとかしてその子を生かせたい助けたい一心で、そのミルクを飲ませ続けたのです。そのミルクの中に毒物が混入されているとはつゆ考えておらなかったのです。
生後八ヶ月にもなりますと赤ちゃんは、すでにその意思で舌を巻いたり手で払いのけたりして、この毒入りのミルクを避けようとしたのであります。
しかし、母親はそれをなんとかあやして無理にミルクを飲ませ続けたのです。その結果、ますますヒ素中毒がひどくなり、現在の悲惨な状況が続いてきたのであります。
この十八年間、被害者が毎日苦しむ有り様を見た母親が自責の念にかられたのは当然でございます。母親たちは言いました。私たちの人生は、この子供に毒入りミルクを飲ませた時にもう終わりました。それから後は暗黒の世界に入ったみたいなものです。私たちは終生この負い目の十字架を負って生き続けなければならない、かように叫んだのであります…
賛否両論
★★★★☆
中坊氏と言えば私の中では整理回収機構での活躍(最後に汚点があるが...)が強く印象に残る。氏に対しては色々な意見があるが、整理回収機構を除けば、国民的ヒーローの気がする。戦中派弁護士として、十分その使命を果たし「功」を認められてしかるべき人の気がする。現役の方達にこのDNAは引き継がれたのだろうか?それとも彼らの代で終わるのだろうか?最近、社会派弁護士より経済問題が脚光を浴びる御時世なので目立たないだけなのだろうか?
日本の司法はチェック&バランスが機能しておらず、かなりネガティブな想いが強いが、過去、この様な人もいたのだなと思うと少し救われる様な気がする。が問題はこれからだ。このまま司法&行政&企業グループに弁護士も仲間入りするのかそれとも司法&弁護士グループが成立しチェック&バランスを取り戻せるのか?かなり気になる今日この頃です。
人生が学べます
★★★★★
彼が弁護士としての活動を振り返りできたのがこの著書である。テレビドラマでしかみたことない弁護士という仕事が理解できるのはもちろんのこと、人としての生き方や彼の哲学から学べる点が非常に多い。「人は周りの人がいるからこそ存在できる」という当たり前のことではあるが、日頃感じ得ないことを教えてくれる名著であると思う。
鉄からダイヤモンドへ
★★★★★
私の尊敬する三大日本人の一人、中坊公平氏である。
中坊氏といえば、「債権回収の鬼」と言われている人物であった。数年前、似たような仕事にかかわっていたとき、同僚と「少しでも中坊氏に近づけるようがんばろう」などと話題にしていたものだ。
この本で初めて知った、中坊氏の仕事への取り組みというのは、想像していた以上に徹底したものであった。
中坊氏といえば、医師によって書かれたADHD・ADD系の本で、「注意欠陥多動障害であった歴史上の著名人」の一人として、ベートーベンやトム・クルーズに混じって紹介されている。
それによると、中坊氏の場合は、注意欠陥多動障害の程度がかなり高度であったものと推測され、夜尿が続いたり、「中坊はボー」とからかわれたり、「他人より能力の劣った自分」という自意識をもって、成長されたらしい。
それが、「金ではなく鉄として」という信条につながった。デキる他人が金に見えるが、自分はもともとが鉄である。鉄として、どう生きていくのか。
中坊氏のその後の仕事からは、「他人より劣った自分」などという言葉は全く似つかわしくない。彼の場合は、注意欠陥多動障害の特徴である「集中力」というものが、弁護士という職業に有利に働いた。
またその、高潔な人柄、不屈の魂には、恐れ入ったとひれ伏すしかない。
「あきらめない」という言葉の本当の意味は、中坊氏のような人物のみが知り得るのだろう。「座り込みには、赤ん坊を背負って来なさい」などと言える弁護士が、他にいるだろうか。中坊氏は、「まやかしの正義」など採用しないのである。彼の場合は、「正義は自分の中にある」のであり、どんな時も「誰かが言った正義」ではなく、「自分の中の正義」に従って行動された。
中坊氏は「鉄からダイヤモンド」になった見本のような人物である。
弁護士の可能性を見いだす著者
★★★★☆
弁護士中坊公平の代表的な事件について、本人がその事件での思いを綴った作品です。
タイトルにある事件簿というと、「どう解決したか」が主眼に書かれている印象がありますが、この本では「どう取り組んでいくと決めたか」が主眼に書かれています。
そのズレに多少戸惑う方もいるかもしれませんが、そういう書き方をしたからこそむしろ中坊公平という人物がよりよく分かります。
弁護士というのは決まったレールの上で処理するだけではない、出来ることなら何でもやってみるものだ、そう力説する姿が印象的でした。