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ソドムの百二十日

価格: ¥3,990
カテゴリ: 単行本
ブランド: 青土社
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シーソー ★★★★★
サドの生涯はそのほとんどが謎といっても過言ではありません。また、サド文学がどこまで彼の実像なのかもはっきりしませんが、『ソドムの百二十日』を構造分析する上で、サドの描いたものはサドの分身だとします。まず、『ソドムの百二十日』は単純な二項対立からなっています。負の極にあるもの、「なぜ母は自分を生んだのかという生存と母なるものへの嫌悪」「女性性器の侮蔑」「男性との性交への偏差」「妊婦を本能的に憎む性質」「残虐な拷問」などがあげられますが、その対極、正の極にあるものもサドが意識するかしないかにかかわらず随時顔を見せています。それは「限りなく美しいものへの志向」に代表させられます。しかし、負の極にあるものと正の極にあるものとは別々に分離しているのではなく、ひとつにつながって循環運動をなしています。すなわち、「限りなく美しいもの」とその「醜い死」、また「死者との一体化」というふうにです。ここで注目しなければならないのは、その循環運動はサドの世界認識とパラレルな関係にあるということです。「富者は貧者を救ってはならない、なぜならばそんなことをすれば両者の差異が消滅してしまうからだ」「私は悪に荷担する。神は善を創造したが悪も創造した、だから私は悪に生きることによって善と悪のバランスを保つのだ」などに象徴されるように、サドの精神界には正と負にエネルギーが集まり、中間には何も存在していません。これがサド文学を読むときに感じる空白感のもとであり、サドがシーソーのように考えている世界観なのです。ですからボスによって定立された、「世界内存在の異常なあり方が性において集約的に現れたのが、性倒錯である」というものがサドにはぴったり当てはまるのです。
壊される ★★★★★
閉ざされた城の中、虐げる者と虐げられる者が・・・という、基本の筋立てはまるっきりポルノグラフィーですが、この作品が凡百のポルノと異なる点はその生々しい質感です。

完全に『物』として扱われる少年・少女たち、徹底的に醜く邪悪な存在として描かれる加虐者たち。SM行為における精神性を強調する向きは多いですが、この『ソドムの百二十日』を読み進めながら感じるのは逆に「精神の不在」です。延々繰り返される哲学談義・社会論も、非道な拷問の正当化に使われるばかり。拷問・哲学、拷問・哲学の悲惨なサンドイッチです。それが延々700ページ続きます。
決して誰にでもお勧めできる本ではありません。『悪徳の栄え』や『ジュスティーヌ』だけ読んでもサドの作品の雰囲気は分かると思いますので。実際どれを読んでも書いてある事は同じです。

しかし、サドの精神の真の恐ろしさを理解するためには、その『同じ事』を700ページ分繰り返し読む事が必要です。繰り返し、円環、徒労、そこに現れるサドでしかない精神・・
真のオリジナルと呼べる数少ない作品のうちの一つ。ゆえに☆5つです。