こなれた解説で核心がわかる入門書
★★★★☆
難解な廣松渉の哲学の全貌を、こなれたかたちで紹介。入門書としては最適。廣松渉の文体から話が始まり、次第に、学説の核心に入る。既に解説書はほかにもあるし、廣松渉自身が「新哲学入門」など自身の哲学の全貌を分かりやすく説明した好著も出しているのだが、そういった成果を土壌にして、見事に仕上げたのが本書。とはいえ、単なる「やさしい」解説に終始しているのではなく、第3章「日本思想の中の廣松渉」は、珍しい試みで、今後この観点からより突っ込んだ論考も出てくるような気もする。とくに廣松渉自身は、「近代の超克」に関する書物を仕上げているのだが、本書には、この書物を基に、西田学派らと廣松哲学の比較がある。加藤周一らの「戦後良識派・進歩派」の一方的な西田学派らに対する辛辣で無評価な批判的な態度とは異なり、廣松の思想は、案外に思想スタンスに通じるものがあって、批判は批判するにしても、一定の敬意を払っているところに注目している点は面白かった。巻末の略歴と書物案内も要を得ていて楽しい。無いものねだりを言えば、廣松渉と、直近の一世代、二世代前の日本の哲学者たちとの知的交流や関係を描いたものがあれば、と思う。誰しも思うことだが、西田学派や、和辻哲郎、田辺元らの「独創」派の次の世代は、篤実な研究者ばかりとなって、それはそれで相当に有能な集団だったと思うのだが、彼らとは廣松渉が明らかに異質の「知」を構成していたことは驚嘆する。このあたりの繋がりと断絶について、本書の著者に書いていただければと思う。
廣松渉を知っている方にも知らない方にも
★★★★★
講談社の新シリーズ「再発見 日本の哲学」の第一弾。
著者は、廣松渉の「本妻の子」のような弟子といわれる熊野純彦に対して、「妾の子」のような弟子といわれる人物。『西田幾多郎 他性の文体』『西田幾多郎の憂鬱』などで、文体や京都学派にこだわってきた著者ならではの視点で、廣松渉の入門書を書き上げた。薄いわりに意外と読みでがあり、廣松渉を知らなくても、地方出身者や、異国の地で自分の国の後進性を感じさせられている方には、興味が持てる内容になっている。
素晴らしいです
★★★★★
著者は永年にわたり廣松渉の研究で知られた人物です。実際に廣松渉の独白録では聞き手を務めています。本書は廣松の著書である「近代の超克」を取り上げ、それを検討しています。そして、廣松が使った独特の感じの使い方などを検討しています。廣松が近代の超克でナニを伝えたかったのかを読み取ることが出来ます。内容の割りにはコンパクトな物となっていますので読みやすいですけど濃いものとなっています。