この巻には、たわいなさげに語られる話でありながら物語の後々を握る話、そして鍵となる事件が「若紫」「紅葉賀」に語られています。(「末摘花」読者の息抜きということで・・・)
瘧病(わらわやまい)で京の北山に光が行ったときの、たわいもない明石の浦に住むやんごとなき入道と娘の話、思いがけずかいま見た藤壺女御に面差しがそっくりの十歳くらいの姫。
そして病が治り都へ帰った光は、ついに侵してはならない罪を犯す。
夏のある一夜、三条邸に宿下がりしていた藤壺を光は犯す。二人の他にこのことを知るのは、以前光と床を同じにし、それ故にひとりの女として光に対せばならず、手引きをする哀れな女、王命婦。
物語の両でも特に重要なその場面をぜひ読んでほしい。
そして、北山で見た、藤壺によくにた姫。兵部卿の宮の娘である姫。彼女をさらい、自邸の西の方に住まわせ、養育する。理想の女とするために。
「あのひとがほしい」――ひとつは手に入れ、ひとつは罪のしるしとなって残る。
そして、「紅葉賀」。試儀のため、清涼殿の前で行われ、光は「青海波」を心の内は御簾内の藤壺に見せるために舞う。
とうとうと、緩やかにつつがなく試儀は行われるが、しかし光の語りは読者の胸をえぐる。そしておそらく藤壺の胸をも。
「もしもその胸に憂いの種のなからずんば私を「見事」と見そなわすか?」と。
そして藤壺の出産と中宮立后。光は名乗れない父となる。
順番が入れ替わっていますが(ただ、クライマックスの時系列にそえばこの順番でよいのです)「末摘花」。これは皆さんにもよく知られている話ですね。
「若紫」と「紅葉賀」の文章は緊迫感をもって疾走し、読者の呼吸を止めてしまうような、すさまじくもすばらしいです。
なので「末摘花」は緊張感をとかれてほっとします。というか、してください。これは光の失敗談なのですから。美しい文章で、面白いですよ。
でも、もし紫式部がここまで配慮していたとすれば、紫式部恐るべし・・・