過去追慕者の玩具箱
★★★★★
本書には著者が昭和初期の子供時代から偏愛してきた文学・映画などについて綴った文章が収められている。どの文章にも艶があり、間然するところがない。実のところ、テレビ番組のディレクターという通俗的なイメージしか私は久世光彦に対して持っていなかったため、これほど上手い文章を書く作家だったとはこれまで知らずにいたのだ。自分の迂闊なアンテナを恥じた次第。
久世光彦は言葉にとことんまで拘る作家だった。このことに関して、「解説」で川本三郎はこう説明している。
《ぎりぎりのところで、久世光彦を、そうした平俗さから救っているのは、言葉、日本語に対するストイックなまでのこだわりである。久世光彦には、感じに対する、マニアックなまでの愛着がある。その言葉への感受性が、久世光彦を、異端という名の凡庸からへだてている。》
例えば、「鉄路のほとり」では久坂葉子の名前にある「葉」の字に対し「頑迷な浪漫主義」を感じ、「朧絵師の死」では「熄」という漢字に対して鮮やかな想像力を掻き立ててくれ、そして「女の紅差し指」では向田邦子がかつて好んで使った古い日本語が次第に失なわれていく現状を憂える。この3篇は特にすばらしかった。
また、「人攫いの午後 ヴィスコンティの男たち」や「消えた狂女たち 保名狂乱」からは、今ではすでに失われてしまった街の風景が淡い靄の中で描かれている。戦後間もない昭和の雰囲気が匂い立ってくるようだった。