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忌館 ホラー作家の棲む家 (講談社文庫)

価格: ¥750
カテゴリ: 文庫
ブランド: 講談社
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《三津田信三》シリーズの第一長編 ★★★★☆

編集者の三津田信三は、たまたま見つけた空家の
洋館〈人形荘〉に心奪われ、そこに住むことにする。

やがて三津田は、同人誌『迷宮草子』において、〈人形荘〉を舞台にした
怪奇小説「忌む家」の連載を始める。その後、三津田の前に、「忌む家」
の愛読者だと称する信濃目稜子という人物が現れ、あくまで作家と読者
といった関係で交流するようになるのだが、しだいに変事が起こり始め……。



作中現実と作中作という入れ子構造にとどまらず、作者自身の現実を作品に
取り込み、虚構化した上で、異なる虚構レベルの世界が境界を浸食する現象
――いわゆる〈メタレプシス〉を描いた意欲的なメタフィクションである本作。また、
本格ミステリとホラーとを鮮やかに融合させた、作者の処女長編でもあります。





厭な話です ★★★★★
創作と実話がごちゃ混ぜになってるような雰囲気です。

主人公に感情移入していないにもかかわらずゾッとしました。

この人、いっぺん病院に行ったほうがいいのでは?とも思いました。(作者の方ごめんなさい)

作者のルーツに纏わるような話もたくさん出てきましたが、私は三津田さんが好きになってから読んだので興味深く読めました。

文庫には後日談のオマケも付いてて、大変楽しめた?一冊でした。
怪奇ミステリオタクの書 ★★★☆☆
怪奇、オカルト、ミステリが好き、乱歩が好き〜、っていう人には、著者と文学談義をする気分で楽しめる小説です。

しかし、物語としてはイマイチなんだなあ。
ものすごく斬新でもないし、突っ込みたいとこもいろいろあるし。
特に後半は現実と作中作がごちゃごちゃになって進んでいく展開なんですが、最後のほうは「もうどっちでもええんちゃう?』っていう気分になってきて、私はついていけませんでした。
ついていけないというのは、つまり私の想像力が、著者の書こうとしている恐怖に追いついていないということで、要するに、これは好みの問題なのかもです。

私はむしろ、これを読んで、やはり連城三紀彦はすごい作家なのだということを改めて知り、そのほうが収穫でした。
(本文中に、連城作品に関する講釈があります)
作者の趣味を押し付け過ぎで、読者から見るとインパクトが弱い ★★★☆☆
民俗学的伝奇ホラーと本格との融合で知られる作者のデビュー作。本作を読むと、当初は乱歩風の怪奇幻想味を嗜好していた事が窺える。H.ヘイクラフト「娯楽としての殺人」の名称を自作名として扱ったり、初歩のミステリ論を熱く展開したりと、遊びとも気負いとも取れる試みが微笑ましい。本作の趣向は英国風ゴシック・ホラー、そして一人称と同人誌連載の小説のカットバックで描かれる叙述形式。

<私・三津田信三>は雑誌編集を続けながら、作家としてデビューもしている。発端は、友人からの連絡。<三津田信三>を一人称の主人公とする作品をペンネーム津口と言う者が、ある賞に応募していると言う。住所も本物と同じだが、私には覚えがない。そして、ここから私がある西洋館(人形荘)に住み始める経緯が語られる。それに加え、同人誌に連載する事になった小説(作中作)の内容がカットバックで入る。私の体験と、人形荘をモデルにした作中作から、その館が英国から移築したもので、「忌まわしい」雰囲気を漂わせている事が強調される。「英国幽霊屋敷」本中の具体例も紹介される。作中作では四人家族と言う設定だが、これは上述の具体例の一つと同一。そして、人形荘に"津口"が訪れる。この作中作の意図は何なのか ? 更に、津口から私の元に天井裏に続く秘密の扉の鍵が届く...。そして、私のファンと言う若い女性綾子が登場して人形荘を訪れる。素直に捉えれば「綾子=津口」であり、館の元所有者であると共に幽霊であり、(霊力で)作中作を書かせた、との想像が浮かぶ。正統派幽霊小説なら、こうなる所だが...。

作中作の意図も説明され、ドールハウスを中心とするホラー味との間で融合が図られるが、後年の「...の如き...もの」シリーズと比べると、今一つ冴えない。怪異現象が主に作中作で起こりインパクトが弱い点と、作者の趣味の押し付けが強過ぎる点が原因だろう。
うつし世は夢、夜の夢こそ真 ★★★★★
三津田信三のデビュー作「ホラー作家の棲む家」を改題し、
改訂された「完全版」として文庫化されたもの。

まず、なんといっても「忌館」は怖い。
暗闇への畏怖が、見てはならないものへのあくなき好奇が、全体を覆っている。
本の中に本が登場する手腕は、夢野久作「ドグラ・マグラ」を髣髴とさせつつも、
交互に差し込まれる小説の中の小説と、小説の中の現実は、
次第に境界線が失われてゆき、読者は作家の目眩ましに遭う。

それゆえ、ラスト間際の「謎解き」は難解を極めている。
じっくり腰を据えないと先述した「目眩まし」に翻弄されるからだ。
本文後に追記された「跋文」そして「西日」まで完璧な構成になっているが、
これらは決して解題ではなく、謎はより深くなる。そんな点も見逃せない。
また、この小説は作者「三津田信三」の体験記として綴られているため、
本文内には実際に活躍している作家や評論家の実名も出てくる。
しかし、「そうではない作家」の名前もしれっと紛れ込んでいる。
どこからどこまでが虚なのか実なのか。
翻弄されることを楽しむのも、また一興。

それにしても三津田氏は、ほんとうに乱歩が好きなんだなぁと思った。
乱歩が好んで記していた言葉「うつし世は夢 夜の夢こそ真」、
これがこの小説のテーマなのではないだろうか。
吸い込まれるような真っ暗な夜空や、暗闇の茂みが姿を消しつつある現代に、
三津田信三が執拗なまでに表現した「闇」はどこまでもいとおしく、
そして恐れおののくべき存在だと思った。