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権力を取らずに世界を変える

価格: ¥3,150
カテゴリ: 単行本(ソフトカバー)
ブランド: 同時代社
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世界を変える方法を根本から考え直す ★★★★★
 世界を変える。この壮大で困難な課題に対する本書の答えが、権力を取らずに、です。
 著者はまず、従来の世界を変える方法論、中でもマルクス主義の革命論の考察をし、その方法の中心に「(国家)権力を取る」ことがあることを浮き彫りにします。しかし、その後の旧共産圏の国家体制の変遷からも明らかなように、解放されたはずの国家の中において、また新たな種類の抑圧が生まれ、理論的な自己矛盾に陥ってしまいました。著者は権力というものがそもそも問題であると提起します。そして権力というものが、物神崇拝によって主体による行為の手段を他者が所有することによって形成された客体である「資本」が、主体に対して命令する(主体を客体にする)ためにできたものであると論じます。つまりここでは、従来のように悪しき資本家が資本を形成しているのだから、そいつらを妥当すればいいという理論は成り立たず、むしろ権力を形成・維持しているのは労働者自身である(自己疎外)、という見方になります。
 このような資本主義社会の分析の上に立って、著者は「なぜ?」という問いかけから革命的展望を開始します。現状を疑問視することで、まず物神崇拝による自己疎外を認識します。そして世界を日々形成しているのは、資本や国家や権力ではなく、私たちなのだと気づくことが主体性回復の鍵になります。それは実践の側面では、創造性や能動性の回復であり、人間性の、自己決定の回復です。ここではコミュニズムとは、人間の創造性が発展していく無限のプロセスとして捉え直されています。
 本書では、理論から現実問題の分析まで幅広く取り扱われていますが、最終的に大まかな方向性が打ち出されているに留まり、「権力を取らずに世界を変える」具体的な方策は示されていません。しかし、従来の権力を前提とした革命論に対する批判・問題提起としては充分な内容であると思います。また、専門家に向けただけではなく、一般の民衆に向けて書かれた本なので、500ページを越える分量がありながら、とても読みやすいです。社会運動に関わる人にはぜひ読んでもらいたい本です。
巨大な難問がある ★★★☆☆
良書である。翻訳もおおむね妥当で読みやすい。
ジョン ホロウェイが主張していることの多くは、日本にあっても、社会変革を志した誠実な個々の活動家たちが、戦前戦後を通じておおむね実践ないしは自己の内面の指針としてきたことである。問題は、それが変革を目指す組織において、十全に発揮されず、逆に学歴主義や官僚主義に足をすくわれ続けてきたところにある。組織が多くの誠実な活動家たちを圧殺してきたことにある。
西欧、東欧、中南米においては、ジョン ホロウェイの主張の多くは、変革を目指す組織内にとどまらず、社会的にも相当程度浸透していることが随所に見受けられる。官僚主義がはびこることを一定程度制約できているようだ。事は、どうやらロシアとアジアのいくつかの国家・社会に特徴的な問題のように思われる。その課題を考究する手がかりとしてこの書物は有益である。
しかし、その有益と思われる内容よりも、読者の多くは、次の難問に直面するだろう。
レッテル貼りの好きな人たちは、この翻訳書はいわゆる「革マル派」といわゆる「新日和見主義グループ」のあやしげな合作本だと断定しているだろう。小生はそうした連中に与するものではないが、二人の翻訳者および巻末の座談会出席者の活動歴とこの書物の内容は、どのようにして折り合っているのかという難問があることは無視できない。
とりわけ、翻訳者の一人四茂野修氏は、次のような略歴をお持ちである。
1949年9月12日、東京都生まれ。東京大学文学部中退。
1977年から動労本部勤務
1987年からJR東労組役員
1998年からJR総連役員
2005年から国際労働者交流センター事務局長
ジョン ホロウェイの翻訳書を世に問うのであるならば、JR総連・JR東労組における実践を、ジョン ホロウェイの視点で検証する責務があるのではないか。小生の手探りで得られたわずかな情報での暫定的な判断では、JR総連・JR東労組もまたジョン ホロウェイが完全に否定している組織のひとつだと思われる。そのことの検証を閉ざしたまま、「一般論」「抽象論」として、ジョン ホロウェイを宣揚するのは、ある種の卑怯と見えなくはない。どうなのだろうか? ぜひとも「どのようにして折り合っているのか」を解説願いたいものである。
起きていることは、ほとんどが間違っている!!! ★★★★☆
政治論としては、少々脇が甘いと言わざるを得ないが、現実肯定を事として、自らの出世と銭儲けばかりに夢中の我がニッポン国のエリート連中には、本書のメッセージを投げつけておきたい。本書はアナーキズムの本であるが、現実に対する「否」のスタンスを学べる。

「真実の世界がどういうものであるか、その像をはっきりと描くことができないからと
 いって、現にいまある世界が、どこか根本のところでまちがっているという感じをい
 だくのはお かしいということにはなりません。この世界はまちがっていると感じる
 ことは、かならずし も、そうした世界に代わるユートピアを描くことを意味するわ
 けではないのです。・・・・
 私たちの出発点は次のところにあります。私たちがまちがっていると感じていると世
 界を拒絶すること。否定的なものだと感じている世界を否定すること。これが、私た
 ちが握って放すべきではない観点なのです」

著者のジョン・ホロウェイは、1947年アイルランドのダブリン生まれ。メキシコのサパティスタ運動やアルゼンチンのピケテーロス運動等民衆運動の理論と実践に関わる思想家であり、ネグリ、ハートと並び称されるという。

ホロウェイはまた、アカデミズムが取り込んだものは、いずれも体制内化されるという視点を持っており、それはすなわち権力となるのだという主張が重要だ。

たとえば、苅谷剛彦は優れた教育学者だと思うが、彼も体制内化していることは、朝日新聞社の『大学ランキング』(週刊朝日ムック)などという教育格差を助長し、人間序列化に与する刊行物に手を貸していることからも明らかだ。
この雑誌には我が尊敬する山内昌之や、かの上野千鶴子までが「一筆啓上」している。どうしてこうも節操がないのか? こんなものに加担する政治的意味が全然わかっていないのである。
吉本隆明は、かつての主張である「一般紙には書かない」という規矩からは「転向」したようだが、それでもこの手のマーケティング本に手を貸しはしないだろう。

「起きていることはすべて正しい」などと、自分のライフスタイルを読者に披露して喜んでいる会計士の売文屋、楽して儲けろと自分ひとりが小金を貯めているかつての「戦闘的」ジャーナリスト、端から名前を売るために、ありもしない「レバレッジ」をあらゆる自著に冠する輩。

そんなものばかりを喜んで読んでいる「下流」読者は、決してこの複雑怪奇な世界を知ることはないだろう。地味な出版社のタイトルに比して地味なつくりの本であるし、少々値も張る500ページ超の大冊であるが、多くの賃金労働者にお勧めしたい。