解説の小田光雄は次のように書いている。この作品は、「高度資本主義社会と辺境との出会い」を描いたもので、主人公のトシオ少年が生まれ育つ村は、「家族数42のアジア的農村は手工業と農業を中心に営まれ、ほとんど商品経済は導入されていない」、と。しかし、フィリピンはパプア・ニューギニアの奥地ではないんだよ。まして、この小説の舞台となるセブ島は、「辺境」どころか、資本主義の論理が行き渡ったところ。自給自足の生活の村があるなんて、ちょっとありえない設定だ。
日本人観光客がゴルフ、ダイビングへと訪れる南の島においても、ちょっと奥地に入りさえすれば、大いなる「辺境」が存在し、新人民軍の残党が活躍したりするのではないかというのは、楽しいロマンである。しかし、現実のフィリピン社会を描いたことにはならない。冒険小説としてはよく出来た作品であるが、異文化の人と社会を描いた小説とは言い難いのである。現地生活をよく知らない日本人作家の限界なのかもしれない。
〝まん丸い虹〟が出る虹の谷の行き方を知っているのは村でトシオのみ。虹の谷に住むたった一人のゲリラ、ホセ・マンガハスとの関係・メグとの淡い恋・ラモンとの葛藤等が時として謎、時として挿話的に語られながらいつしかトシオは自分でも気づかないうちに一人前の人間として成長してゆく。
フィリピンの混沌とした世界を政治の絡みと、同じアジアの国日本との関係をふまえながら背景として置く事を物語の背骨としている。ここのところの理解を得られるか!得られないかがこの作品を楽しめる・楽しめない、のpointと思いましたが・・・・如何!