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夏と冬の奏鳴曲(ソナタ) (講談社文庫)

価格: ¥980
カテゴリ: 文庫
ブランド: 講談社
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現実を演じる論理 ★★★★★
キュビズムの目的は絶対性であったが、その論理には致命的な問題が存在する。故に、キュビズムを三次元に敷衍するという方式でも、現実には絶対など得られないのであるが、大事なのはその絶対性の消失の仕方だ。絶対が二つあることにより絶対が相対化されてしまう。ではそれを三次元の現実世界で考えるとどうなるか?そもそも烏有にとっての絶対とは何なのか、それを考えて行けば至極まっとうな結末なのである。
単にわけのわからないストーリーを展開させる不条理劇でもなければ、論理に縛られ飛び立てない本格ミステリともやはり一線を画す。

麻耶の作品というのは、極めて論理的で全て一直線に理解できる。しかしそれでいてその整然とした厳格な論理が自縄自縛とならず、非常にドラマティックに動こうとするのが魅力だろう。
能において大事なことはまず演者が人間でなく、人形のような「物」になることが求められるが、かといってそれがロボットのように動いたのではおもしろくない。その人形がまるで人間のように動くところにおもしろさがあるのである。麻耶の作品もまったく同じだ。神様ゲーム、鴉、瑠璃鳥などの作品にも見られるように、非現実的ではあるがその中では整合性がとれた独創的かつ非情な論理で世界を構築し、それがまるで現実のものでありたがるように行動するところに興がある。そしてこの夏と冬の奏鳴曲はそうした作風が最もよく現れた芸術作品と言える。
このように論理で世界を構築するからこそ、そこに存在するドラマが、本来水と油の関係であるはずのミステリ性と融合するのである。単に人間ドラマを充実させたミステリではなく、この世界の論理と人間ドラマが切っても切り離せない絶妙の和音を響かせている。

取り敢えずこの作品を読む時は、中盤のややこしいキュビズムの論理から目を背けてはならない。そこさえおさえれば謎はすべて氷解する。烏有にとっての絶対が如何にして相対化していくか、また相対化した絶対を再び絶対化するためには何が起こることが必要なのか(それは皮肉にも作中のある人物の論理に従うことになる)、そうした点がすべて繋がり、他の小説とは比較にならない圧倒的なカタルシスを得られるはずだ。

ただメルカトルの最後の一言と「春と秋の奏鳴曲」については痾の内容をふまえるに一種のコラージュと見るべきなのだろうが、その点については論理的ではあるがドラマティックとは言えず、蛇足である気はする。
未消化… ★★★☆☆
面白いと言えば面白いけど…。
何とも未消化な結末。
この作品の評価が賛否両論にはっきり別れる所以だと思う。本格推理小説にしては、多分に読者には不親切な作品。根本的な謎はそのまま放置されて…これで納得感が得られるはずはない。作者の独り善がりか?それとも私に理解力がない?確かに、途中は面白いけど…。読み終えて後、何なんだ―という気持ちが大きい。様々な謎がリンクしているけど、一部の謎解きで推理小説ファンが納得するとは思えないけど。何かすっきり感がないなぁ…。賛否両論、人それぞれに解釈の仕方は違うのだろうけど…、私は?のまま読み終えた作品でした。
新本格のひとつの到達点 ★★★★☆
雑誌編集者の如月烏有は、助手で女子高生の舞奈桐璃と、日本海に浮かぶ
孤島「和音島」で行われる、ある人物の二十周忌の取材に行くことになる。

真夏に雪が降り積もった朝、彼らは断崖のテラスで島の主の
首なし死体を発見するのだが、周囲には誰の足跡もなかった……。



著者のみならず、九十年代初頭における新本格最大の問題作。


特に前述した《雪密室》にたいし、著者が示した解法は、あまりに奇想天外であるため、
生真面目なミステリ読者には到底受け入れられず、非難と嘲笑の的となると思います。


それにも増して読者を唖然とさせるのは、ヒロインの舞奈桐璃でしょう。

萌えキャラ的人物造型であるため、年配の読者には、それだけで生理的嫌悪の
対象だと思われますが、それのみならず、終盤には彼女にまつわる不可思議な
秘密が、十分な説明を伴うことなく、唐突に明かされることになります。

あまりに一方的で、読者を置き去りにしているといえます。
(ただ、叙述の表現形式によって一応の伏線は張られている)


ほかにも、解明されずに放置される謎がいくつかあるのですが、結末で登場する、
メルカトル鮎の一言が示唆する事実だけを残し、物語の幕は下ろされてしまいます。


要するに本作は、一種のリドル・ストーリーであり、いわゆる普通の謎とその
論理的解明を骨格とする狭義の本格ミステリには該当しない作品なのです。

しかし、だからといって本作が駄作であるとはいえません。


本作以降、本作の趣向だけを安易に模倣し、ガジェットに淫して
謎解きを放棄した作品が陸続と世に出ました。そのほとんどは
センスと教養のなさを露呈するという残念な結果に終わっています。

いみじくも本作のテーマであるキュビスムの絵のように、
本物と凡人の落書きとでは、おのずと違いがあるのです。

メルカルトル鮎がまさしく救世主だった作品って書くと怒られるんだろうなぁ ★★★★★
京極夏彦の「姑獲鳥の夏」(文庫)の解説に作品名があったので、興味が沸いて蒸発しないうちに呼んでみました。
まぁ、話の大筋はあらすじなり他レビューなりで既に充分に書かれていることなので省略させていただきますが、

先ず(何よりも先に)、絵画に基づく(または纏わり付く)思想だの哲学だの宗教的理念だの信仰心だの、やや新古典というか近代美術というかを基盤に引いてる美学だの、他に地盤の崩れに眩暈を起こさせるような(素晴らしい)設定(ここではややアンフェアなどんでん返しと解釈されているのだろうか)に浪漫を感じない方、一切興味の無い方(頭の柔らかい本格狂いを除いて)には激しくお勧め致しません、ね。

いや、私はあまりにもがたがたにお堅いがちがちの本格よりはこうした道理の有る、夢の有る、希望は無いが、なんかこう、幻想美に配慮を見せた型破りなミステリの方が文学的にはもちろん芸術的にも価値が高いと・・・あぁ、それは関係ないと言われるのか。にしても、この素晴らしい著作がなぜか所々悲しくなるような評価を下されているのは、読者が読む作品を選び間違えたとしか・・・。
 これは、そう、少し読者を選ぶ作品かもしれません。ミステリ好きだからと軽々とした気分で読むには向かないかもしれません。少なくなくとも、万人の口には合わない、少し特殊な味がするために、所々低い評価を・・・。(でも、わからないかなぁ、手抜きだなんて有るけど、この考え抜かれた設定が。問題作的名作にふさわしいプロットが・・・視えないかなぁ)

ま、こうした雰囲気に浪漫を感じる方々、眩暈が好きな方々等は楽しめるでしょう。とにかくプロットは絶品。

えーっと、ちょっとラストにやや不満があるような方々へ、
 最後に訳がわからないとか謎が解けてないとかおっしゃる方々、何を申されるか。メルカルトル鮎が最後にちゃんと全てを解明してくれたじゃありませんか。確かに活字として細部が印字されているわけではありませんが、私はあの一言で全ての不可解、浮遊感、眩暈、なんかこう、ぐるぐるとする落ち着かない吐き気にも似た不安定感が、まぁ、多少の「えっ?!何これどういうこと?!」という叫びの後に、するすると消えて行きましたよ。これは決して不条理なエンディングではありません。有る意味では本格と呼んでも差し支えない。
 読者にも推理力と称してもとくに害の無い想像力は必要ですよ。鮎の言葉から連想される可能性を考えてみることですね。全ての結果が書き記してある考えなくても解る書物が現代の当たり前となっているようですが、そんなこと。甘やかされていますよ。(古典文学を読む人にはこの感覚がきっとわかる)。確かに、疲れているときに読めば癒しどころが不快感や頭痛に見舞われるのかもしれませんが、まぁ、これは読む人の気心次第として。
私は中盤から結末までを夜中二時辺りに読んでいたのですが(こう、暗鬱とした気心で)最後にメルカルトルさんが来てくれなかったら(そこを読まずに寝ていたら)気色悪い悪夢に魘されていたことは確実。彼のおかげで安心して眠れました。裏表紙の言葉は嘘じゃない。

追伸的なもの。ー完読の三日後、「烏有に帰す」という言葉を知りました。あぁ、成る程って思いました。(ドイツ語でヌルは英語のゼロなので予想できた筈だったりもしたのですが。登場人物に対して残酷な作者だなという感想を抱きました。
 続編らしき「痾」を読んだらこの感想は変わるのかしらん)

以上
ホントは星ゼロ ★☆☆☆☆
驚愕の名作!?これがミステリー?謎解きやトリックはどこに?
ページに蔓延しているのは、作者の知識を自慢しているらしい小難しい芸術論や宗教論であり、読み物としての面白さは微塵もなく、疲れだけが残った。
読んでいても残りのページを見ただけで憂鬱になり、楽しむどころか、途中からはノルマのような気がしてならなかった。
孤島にある怪しげな館。雰囲気に期待して買ったものの、綾辻行人氏の「館シリーズ」や霧越邸殺人事件の方が圧倒的に楽しめる。久しぶりに買って損をした気分が味わえた。
700ページで900円。それだけの価値があったのだろうか?
登場人物の名前をとっても現実味がなく、まったく感情移入もできなかった。