松本清張の小説の映画化といえば松竹での野村芳太郎監督作品が有名だが、これはめずらしく東映が映画化したケース。冬の博多郊外で発見された、男女の心中死体。だが男女は揃って到着したのではないようだ。警視庁捜査二課の三原刑事は、心中の影に汚職事件があると感じて福岡署の老刑事・鳥飼と共に、事件の迷宮に挑む。
その声色もシャープな、新人(当時)南廣と、名優加藤嘉のふたりを中心に、黒澤明監督作品で知られる志村喬、そして高峰三枝子といった、そうそうたる顔ぶれに目を奪われる。小林恒夫監督の演出は、ひとつひとつ手がかりを得て犯人のアリバイとトリックを崩していく刑事たちの行動を緻密に描写する一方、叙情性のあるカットも挿入するなど、単なるサスペンス映画に終わらない、巧みな手腕を見せている。1958年製作・公開作品とあって鉄道シーンには、蒸気機関車が登場するあたりも見どころ。(斉藤守彦)
簡潔だが短過ぎるのが残念
★★★★☆
原作は松本清張最高傑作と言われている。
見所は、情死とみせかけて男女を殺害した犯人の「アリバイ崩し」だが、現代なら誰でも思いつくトリックを簡単に見破れなかったことに、時代を感じる。
近年テレビ放映されたドラマが約4時間の長編に対して、85分という時間はあまりに短い。確かに原作を忠実に映画化しているが、これほど短時間では「筋を追う」のが精一杯で、観客に一息つかせる暇が全くない。別の言い方をすると、余韻が感じられないのだ。
刑事と犯人の駆け引き、この恐ろしい計画を作った共犯者の心理描写が非常に重要なのだが、あっと言う間に出されるのは、いささか興ざめである。
ドラマが「現代」に「昭和33年」を再現するために非常に苦労しているのに対し、ほぼ同時期に撮影されたこの映画は模型など使用せず、当時の風俗・風景を完璧に記録している。
鉄道ファンなら思わず見入るような列車の走行シーンもある。これも上映時間の制約で、どれも極めて短いのが残念。
これよりはるかに単純な「張り込み」の上映時間は2時間弱である。なぜ、これほどの内容の本作品に2時間の余裕を与えなかったのか。本当に惜しい。
昭和三十年代の空気そのもの。
★★★★☆
この作品の存在は以前から知っていたが、どういうわけか、長年、ビデオ化がされず、(小倉にある松本清張記念館でさえ、見つけることは出来なかった)幻の作品だった。
私が、それほどに、この作品を見たいと思ったのは、この物語の舞台となった福岡市東区香椎というところに、住んでいたことがあったからだが、見てみると、それは、香椎という狭い空間に限定した話ではなく、当時の昭和三十年代という時代のもつ、空気そのものであった。
ただ、惜しいかな、肝心の主演の南廣のセリフがあまりにも棒読みであり、この点がどうしても、見るに堪えないものとなっている。
共演の名優、加藤嘉が、いい味を出していただけに、この点が、惜しまれてならない。
悲しい結末。
★★★★★
昭和の日本を見たいと思いこの映画をみた。黒澤明監督の「天国と地獄」的な雰囲気かと思ったが、もう少し整理された70年代の日本であった。
汚職のはびこる時代に犠牲になった人々。活発な機運の中で織り成す全時代的な人間関係。自分はこの時代を知らない世代だが、圧倒されるものがあった。すばらしい作品。
原作を巧みにまとめた
★★★★☆
南廣が三原紀一を演じているなら、鳥飼重太郎は誰か。加藤嘉です。
志村喬は三原の上司の警部。
まだ俳優としては新人だった主役を、名優が脇から盛り立てています。
原作をうまく処理したストーリー展開も良く、推理ドラマとして今でも十分見られる出来です。
南廣は、ウルトラセブンのクラタ隊長、マイティジャックの副長と言えば、ある世代には、わかりやすいでしょうか。他にも往年の特撮映画・円谷プロ作品のおなじみの顔がたくさん出てきます。
また、重要な証言をする果物屋の親爺(花沢徳衛)が登場するのですが、店先に「メートル法の店」という表示があります。尺貫法の何匁いくらではなく100グラムいくらで量り売りするという意味なのでしょう。
それを、わざわざ表示してあるような時代色も、むしろ見所といえます。