およそ数式の出てこないエッセイ集。
★★★★☆
およそ数式の出てこないエッセイ集。おそらく日本語文章の論理性がしっかりして、段落の分かれ方が絶妙だからか、無意識のうちでも理解しやすく、とても読みやすい。
数学以外、家族のことなどを語る文章はやわらかく、数学教育への提言に近い内容になると悲観的ながらも熱い文章になっている。
後半1/3を占める「父の旅 私の旅」は沢木耕太郎の「深夜特急」を彷彿とさせる。
父をたどる旅
★★★★☆
1987年に新潮社から出た単行本『父の旅 私の旅』の改題・文庫化。
ただし、多数の文章が新たに加えられている。新聞や雑誌に書かれた短文がほとんど。
妻の出産、受験勉強、アメリカ体験、数学の未来、鼻毛の話と内容は多岐にわたっている。しかし、どの話題も面白く、文章力のある人なのだなと感心させられる。
メインとなっているのは、父親である新田次郎の足跡をポルトガルにたどった旅。亡き父の旅程を律儀にひとつずつ訪ねていく。そのなかで父子のつながり、家族の思い出のようなものがこみあげてくる。こういう文章はややもするとセンチメンタルであったり、部外者には分かりにくくなったりしてしまうのだが、きちんと透徹した眼で記しているところが偉い。
条件文(If..., then...)にご用心
★★★★★
「条件文(If..., then...)を用いたアプローチ」というのは契約交渉の場で意識していなければ致命的です。If..., then...というのは、「こうなら」という前提を踏み台にして、「こうですね」と論を積み上げて展開する論法です。「風が吹けば、桶屋がもうかる」の例のように「本当だろうか」と思えるものもあります。
「こうなら」の部分に自分が望ましい契約内容を入れて置いて、それを踏み台にして論ずると、先ほどまで「仮の前提」でしかなかったはずが、いつのまにか「確固たる前提」にシフトし、ぐらついていたはずの踏み台がしっかりしてくる、というこの不可思議さがあります。
この論法はアメリカ人が得意とするところです。相手方がこの論法を仕掛けてきたら、必ず「こうなら」の部分の「状況の実現度」を検証し、問題にすることです(つまりその実現度は「万が一」かもしれないわけです)。
『数学者の休憩時間』では「風が吹けば桶屋が儲かる」という条件文(If..., then...)を紹介しています。「風が吹く→ほこりが舞い上がる→ほこりで目を悪くする→盲人が増える→三味線ひきが増える→三味線に必要な猫が減少する→ネズミが増える→風呂桶がかじられる→桶屋がもうかる」の、どのステップも完全なナンセンスではない。しかしながら、舞い上がったホコリで目を悪くする確率は1%未満、盲人が三味線ひきになる率も1%未満…と、各ステップのパーセンテージを掛けると桶屋がもうかる確率は億に一つにもならない、と藤原正彦さんは説明しています。
一方で、自分から仕掛ける場合は、アサーティヴ[断定的]に、手早く踏み台としてキュッキュッと踏み固めてしまうことです。
以上の文章は私がビジネス書の翻訳をしたときに本の前書きで書いたものですが、この論理展開は本当に要注意です。藤原正彦さんの著作を読んで意識を高め、条件文(If..., then...)に騙されない人になってください。
原点
★★★★☆
著者が父の足跡をたどって、ポルトガルを
旅する稿が印象的でした。
亡くなった新田氏に対する著者の強い愛情と追慕の
感情が旅に駆り立てたのでしょう。
きっと著者が原点に戻るための旅だったのだと思います。
情緒が大切だと主張する著者。
論理はいくつでも成立し、情緒のみが
正しい論理を選択することができる。
「国家の品格」の原点となった思想がすでに
この本においても展開されています。
著者がポルトガルで出会ったサウダーデも
情緒のたまものだと思います。
数学を勉強する重要さ。
★★★★★
この本は数学についての評論や作者の人生経験が多く述べられていました。
数学教育が目指すものに「考える喜び」ということが書かれていました。問題を長時間考え、苦労の末解けたときは数学ならではの満足感がやってきます。 没頭して考えると何かをつかめるという自信をもち、その自信は世の中のさまざまな局面で必要になると述べています。テストで点をとるために勉強するのではなく考えることが非常に意味深いことなので積極的に数学を勉強していってほしいです!!