自分のクセと素直に向き合わせてくれる本。
★★★★★
たった15年ほどしか経っていないのです、この本が日本に登場してから。
これほどたっぷりの『解説』を載せなければならないほど、当時は、
フォーカシングの本は、あまり出版されていなかったのですね。
この『解説』にもあるように、フォーカシングとは何か?ということを知りた
くて手にするには あまりに、簡潔にまとめられすぎています。
幸いなことに、いまは フォーカシング...という言葉をタイトルにもつ本は、
たくさん出版されています。この本を手にする前に、そんな本の中から2,3冊、
読みやすいと思う本を選んで、...できることなら 何回かフォーカシングを体験
して、...「もう少し深く、フォーカシングとつき合ってみよう」、
そう感じる方には、是非お薦めします。
自分のフォーカシングを振り返りながら、気になったところを本の中に探して
みると、...期待していること以上のことを応えてくれます。何度も同じところ
を開いて、その度に、何度も何度も 新鮮な気持ちで教えてもらっている自分と
出会えます。...きっと、同じところで壁にぶつかったり、躓いたりしているん
でしょうね。そんな、自分のクセとも素直に向き合わせてくれます。
未だに、フォーカシング技法を実際に「身につけたい」人への最適の入門書では?
★★★★★
フォーカシングの名教師、アンの著作の中で、日本で最初に翻訳されたものである。
だが、およそフォーカシングを「技法体系」として身につけるために正攻法に学ぼうとした場合、その内容の明快さと体系性、にもかかわらず同時に「かゆいところまで手が届く」細やかさという点で、現在に至るまで、これほどバランスのいい著作は刊行されていないように思う。
フォーカシングの発案者、ジェンドリン自身の「フォーカシング」は、もちろん今でもフォーカシングを学ぶ際のベースとして大事にすべきである。
しかし、その著作の中で、ジェンドリンは、フォーカシングという技法のアイデンディディを確立する立場にあったためか「フォーカシングでないのは何か」「フェルトセンスでないのは何か」ということをくどくどと説明し過ぎたところがある気がする。
それがむしろ学び手に「私はきちんとフォーカシングしているのか?」という不安を喚起する副作用を生み出した側面は否めない。
ところがアンは、この点で正反対のアプローチを取った。すなわち、ただの身体の感じでも、イメージでも、それどころか、ジェンドリンが「内なる批評家」と呼び、ますは追い払うべきと述べた、自分自身を叱責する超自我的な内なる声ですら、フェルトセンスの形成に役に立つことを強調した。
更に言えば、フェルトセンス自体と静かに「共にいられる」内的関係を築ければ、フェルトセンスからシフト(洞察を伴う気づき)が生させようとせっかちにならなくてもいいことについて、技法体系の中に明確に組み込んだ。
このアンの柔軟なアプローチが紹介されるのを待ってはじめて、日本でのフォーカシングの普及はひとつのブレイクを起こしたといっても過言ではない。
フォーカシングのトレーナーをめざす人は、先述のジェンドリン自身の「フォーカシング」を併読しつつも、何よりこの著作に書かれた内容を自己掌中にするまで身につけるべきであると思う。
フォーカシングをフォーカサーとして学ぶ一般の皆さんにとっても、学びの過程で疑問や行き詰まりが生じた時には、本書のどこかに、その解決のためのヒントが書かれていることを期待していいだろう。
入門書としてお勧め
★★★★☆
フォーカシングという心理技法には興味があり、それに関連する書籍は何冊か読んだことがあるが、自分としては「入門書」として、最も評価できる一冊であった。
「成功する心理療法は、必ずクライアントに内的な気付きや身体的感覚が生じている」という、フォーカシングの基本認識に沿った考え方や技法が、初めて学ぶ者にもすんなり入る。その点では、フォーカシングの創始者であるジェンドリンの著作よりもお勧めである。
ちょっと直訳すぎるような・・・
★★★☆☆
フォーカシングに興味があり、早速購入して読みました。
まず、第一印象が文章が英語的な表現で読む側のスタンス次第で全く意味が分からないようになってしまうこともありました。確かにこのような表現の方がフォーカシングの意味を捉えるにはいいのかもしれませんが。しかし、よくよく理解することができれば、より感覚的に近いフォーカシングの技法を学ぶにはいいと思います。自分という存在を直感的に本の中の世界に置くことができれば読みやすいと思います。