希望と絶望
★★★★★
これは、歴史家大沼保昭氏の魂の行動記録であり、また素晴らしい人間記録である。それこそ右も左も襟を正して読むべき近年の傑作である。
なんら行動をせず、いろいろとごたくを並べる人々の言説は信ずるにた足りない。ファウストではないが「はじめに行為ありき」で世界は動きだすのだ。
「希望」というのは、私の同世代にこんなに立派な人がおられるということである。
「絶望」というのは、進取的と思われる歴史家荒井信一氏の発言のコメント等に垣間見られる大沼氏のかすかな絶望感である。
「そんなことはない」と著者が断言してくれるなら、単なる私の思い過ごしであるが・・・
女性問題というよりも、国際的な日本の評判なのかな〜という感じ
★☆☆☆☆
この本に興味を持ったのは、著者の男性が女性問題である「従軍慰安婦」の問題をどんな動機付でどんな考えで扱ったのかに関心をもったからである。
著者の男性を通じ、現代の男性中心社会の日本がどのように従軍慰安婦問題を考え扱うのかがうかがわれる一冊だと思う。この内容なら、すぐ読めるし、図書館で借りて読んでもいいと思う。
償いきれないものを償うために
★★★★★
1946年生まれの国際法学者が2007年に刊行した本。著者は70年代以来、市民運動にも関わり、1995年にはアジア女性基金設立に携わった。それは現地のNGOと協力し、5地域の元「慰安婦」に償い金・医療福祉支援費・首相のお詫びの手紙を渡し、性暴力の再発防止に尽くすために設立された、日本の政府と市民の協働の基金であった。著者はこの基金の限界や失敗を率直に認めつつも、被害者の高齢化、自民党右派の勢力の大きさ、国家補償実現の困難、公共性の担い手の多様化、被害者の多様性を考慮し、基金が被害者の救済に一定の意義を持ったことを強調するが、多くのメディアやNGOはそれを正当に認めなかった。政府と並ぶ公共性の担い手として、メディアやNGOに期待する著者は、それゆえにこそ彼らを批判し、その政治的責任を厳しく問う(逆に「慰安婦=公娼」論については、学問的論議の対象外として、言及が少ない)。その上で、被害者の聖化による過剰な倫理主義が、普通の人間としての被害者の等身大の要求を抑圧してしまうこと、道義的責任も法的責任に劣らず重要であること、償いきれないものを償うために、国家補償のみにこだわらずに、多面的で柔らかな形で、何よりも被害者個々人に寄り添うべきことなど、この失敗から学ぶべき多くの教訓を提示する。このように本書は、著者自身の実体験と真しな反省を踏まえ、広い視野から各主体の意義と限界とを論じ、戦争責任について根底的に考えるための論点整理を行った本であると言える。私から見て、市民運動に厳しすぎるように感じられる記述も散見されるものの、それは上記のような意図に基づき、自ら運動に関わった経験を持つ著者があえて苦言を呈しているということを、決して忘れるべきではない。市民運動や戦争責任について関心のある人には必見。
現実的な解に共感
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「従軍慰安婦」の問題と言うと様々な立場の人が各々の主張を繰り返すので、問題が錯綜している感がある。本書は元慰安婦の方の救済のための「アジア女性基金」の理事の任にあった著者が、その現実を語ったもの。問題が整理されると共に、何が元慰安婦の方の救済を妨げているかを教えてくれる。
この問題は大きく分けて、人道問題と外交・思想問題の二つに分けられるであろう。著者は勿論、前者の「どうやって元慰安婦の方を救うか」という点で骨身を削って来た。だが、そこには後者の壁があると言う。最近、米アメリカ下院議院で「日本政府による公式謝罪を求める」というトンチンカンな決議がなされたが、こうした外交上の駆け引きと共に、日本・韓国のイデオロギストが「アジア女性基金」による救済は"欺瞞"だとして、日本政府以外からの金は受け取らないよう働きかけ、元慰安婦の方の困窮を更に深めていると言う。
また、NPO, NGOと言った美名の組織に対する盲目的な信仰も批判している。著者は、イデオロギーや大義名分あるいは外交カードと言った問題より、「如何にして元慰安婦の方を救うか」という現実的な問題に対処しようとしており、その見識の高さに好感が持てる。「慰安婦問題」を現実の視線から論じた好書。
リベラル派・左派への貴重な教訓
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自社さ連立政権の枠組みの中で嫌々ながらつきあっている右派、非現実的な「正論」ばかり繰り返す左派・リベラル派、事なかれ主義でやる気のない官僚たちという四面楚歌の中で、しかしこの政権でしか従軍慰安婦問題の解決はできないという状況判断のもと孤軍奮闘してきた著者たちの息遣いが聞こえてくるよう。
私も当時はマスコミの風潮に流されて「アジア女性基金」はいかがわしいものとの印象を持っていたが、本書を読んで大いに反省している。その後、右派が増長して従軍慰安婦問題の解決どころではない現在の政治状況から振り返ると、著者たちの状況判断の正しさが光っているように思われる。
左派・リベラル派にもこのような現実的戦略家がいることに安心するとともに、それがなお少数派に過ぎず、大きな力とならなかったことが悔やまれる。同じ主張の繰り返しが多い点が気になるが、自社さ政権の再評価という政治学的観点からも意義深い作品である。