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悲しみの歌 (新潮文庫)

価格: ¥662
カテゴリ: 文庫
ブランド: 新潮社
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遠藤周作氏の文章構成力に脱帽 ★★★★★
遠藤周作氏の作品は、一貫して「キリスト教と日本人との関係」を描いているが、読者の関心事によって印象に残るとこるに違いがあるのが特徴だと思われる。「沈黙」や「侍」では、歴史的にかつ民族的にキリスト教がなぜ日本で根づかなかったのか、の解答をくれる文献として「そもそもの日本人の性質」を知るための非常に有効な参考書的役目をはたしていると思っている。 その観点から見ると、この「悲しみの歌」も、日本人がよく陥る傾向を非常によく表している作品だと言える。 「海と毒薬」に続き、全編に渡って主人公をあの手この手で追い詰めていき、何も救いのない暗い内容で構成されるため、やり切れない気持ちになるのだが、ただ一か所、一人の脇役として描かれているスチュワーデスのごく普通の女性が、自分に想いを寄せる新聞記者に対して多くを語らず下した裁定に、私は「救い」を見出さずにはいられなかった。 人間の浅はかさがもたらす不幸9割を、彼女の深さ1割によって読者にどこか希望を持たせる、遠藤周作氏の相変わらずの構成力に脱帽する作品である。
どうにもならない辛さへの共感 ★★★★★
遠藤氏は、自身闘病生活が長かったこと、また彼自身の人生の遍歴のなかで、弱く哀しい存在に酷く共感し、圧倒的に彼らの味方になり続けた方だと私は考えている。
『海と毒薬』の続編であるこの作品、続編であることさえ一般にそこまで知られていない。
けれども、救いのない勝呂の中年期、またそれに静かに寄り添うガストンの姿は、個人的には『海と毒薬』を超えるものがあると思う。
内容の中核のひとつとして、勝呂医師による積極的安楽死が描かれる。
たとえ誰が何を批判しようとも、勝呂が「死なせてやった」老人、死を乞い続けた老人は、勝呂に感謝しているに違いない、と思わずにいられない内容だ。
安楽死というと『高瀬舟』がすぐに出てくるが、合わせてこの作品も読むべきだと思う。

言葉にならない、表出してこない、軽視される、それでも酷い重荷としてのしかかる弱い者の哀しみに、遠藤氏は、ガストンは、否定せずに寄り添う。
ガストンをもってしてもこの世では救えなかった勝呂に、ガストン彼自身は慟哭する。
その道を選んだ勝呂を責めはしない。自死を責めない。ただ哀しむのだ。
強者の理屈でただ自死を否定する内容の作品が多い中、遠藤氏のこの視点は今なお新しい。

作品最後に、ガストンはまた哀しむ人を街路に見つけ、ジュースを差しだす。
差しだされた女の後姿には、やはり哀しみがこびりついている。ガストンにそれを拭い去ることはできない。
だが、確実に薄めている、そう感じさせられる。
自ら惨めな姿のピエロとして、滑稽なピエロとして哀しみの渦中で人に寄り添うガストンがいるのなら、これだけ救いのない内容でも、世の中捨てたもんじゃないと思わせてくれる、自死を比較的肯定的に扱っているにも関わらず、生きてみようかと思わせてくれる作品だ。

嘆きの歌、聞こえる囁き ★★★★★
生ある限り襲い来る病苦に耐え切れず、安楽死を望む老人。消えぬ過去、苦悩しか見えぬ未来に絶望する医師。人々の懊脳、呻吟が悲しみの歌として、雨の止まない都会の曇り空にかすれ響く。誰もが避けることの出来ない、「人はいずれ死ぬ」という運命が奏でるこの悲哀の歌は、我々を深く愁嘆させる。 数ある遠藤著作の中でも、ひときわ暗く救いなど一切無い話。しかしそれでも、著者の人間たちに向けられる眼差しは優しい。この優しい眼差しは、ストーリーとは直接関係しない男、ガストンに託される。 医師はガストンに何もかも告白する。人体実験の過去、老人の安楽死、自己の哲学。ガストンはただ老人の笑顔のため、職を求め街を狂奔する。ガストンはイエスの象徴だが、私には著者の変身にも映る。医師の滔滔たる告白を無言で聞く。老人が死を選んだことを聞き嗚咽する。いずれの状況においても、ガストン(著者)が彼らに持った感情は憐憫ではなく共鳴であろう。それはすべての生命が持つ悲しい定めを、著者が目の当りにした、その刹那に感じた共鳴であろう。そしてその共鳴の対象への著者の眼差しは誰よりも優しい。 終始暗澹とした救いの無い話の中で、この著者の優しい眼差しは私に救いを投げ掛ける。「誰もが必ず死ぬ、決して嘆くことはない、誰もが一緒だ。」との囁きが聞こえてくるようだ。一読の際には、著者の愁嘆だけでなく、決して投げやりではないこの眼差しにも着目していただきたい。
きらめくことのなき命。 ★★★★★
皆さん書いている通り本書は『海と毒薬』の続編的な本でありますが、私はこれしか読んでいませんのであらかじめご了承下さい。

1週間前に読んだ彼の本『大変だァ』がかなりお気楽なタッチでして、それが頭に残ってたせいか社会風刺満載な前半は通学の電車の中でくつくつと口元だけで笑っていました。
しかしさすがは遠藤周作、それはいうなれば食らいつきやすいエサであり魅せたい本筋はもっと別です。

まず、全編にわたってめくるめく人と人とのつながりの中で傷つき荒んでいく魂の軋りを痛切に感じました。

話の中心である産婦人科医は妊娠中絶の業に悩んでいます。
元はといえば人を救おうとなったはずの職業。
それが今や堕胎に手を染めるただの人殺しに変貌した自分、奪ってきた命に対する罪の意識、彼の精神的疲労は周りには愛想の悪い中年としか映りません。
そしてそれと対極に居る外国人。
ただ人を愛する事しか知らないがために、苦しむ人々のために彼は全力を注ぎます。
他の登場人物はごく普通な生き方をしている、つまり皆どこかにひた隠しにしている影をひきずって不自由そうにしているのに対し、彼だけは絶対的な善人(キリストの模写らしいですが)として世の中のあらゆる不幸のために泣くことができるのです。

罪に押しつぶされそうになる人とそれを救おうとする人、そして自分の罪からは全く目を背けてしまっている大勢の人々、この3つに分けられた登場人物たちは妙に生々しく、読者である自分がどれに位置するのかを炙り出されそうで、途中から読むのが少し恐くなりました。
それでも先を読まねばと思ったのは、自分の中にある罪を少しでも直視しようという心の動きだったかもしれません。
断じて明るい本ではありませんが、私と何か似通った不安感みたいなものを感じてもらえたらなぁと思います。
読んで良かったです。 ★★★★★
海と毒薬を読んだ後に、この作品も読みました。
あまりにつらい生は、終わることが救いになることもあるのだと、もうつらさを感じなくていいですねと、救われた気持ちになることに驚かされました。
痛ましいほどにささやかな人のふれあいが、せめてもの慰めになり、この作品も読んで良かったと思いました。
最後に足許を離れなかった野良犬、語られなかったエピソードですが、人目に触れないところでそっと餌をあげている主人公が目に浮かびました。