新しい作家に出会いたい方に
★★★★★
だまされる才覚がひとにないと、この世はかっさかさの世界になってしまう。
この本を読んでから、テレビでマジックを見るときには素直に驚くだけにするようになりました。
ある事件をきっかけに離れ離れになってしまった双子のテンペルとタットル。テンペルは手品師、タットルはプラネタリウムの語り部に。どんなに離れていても、会えなくても、人はつながり続けていくんだな、と思いました。
ファンタジーですが、胸にしっかりと刻まれるものがある物語です。
新しい作家に出会いたいと思っている方に、ぜひオススメしたい一冊です。作者の世界のとらえ方に驚くこと、救われること、また読みたいと思うこと、間違いなしです。
宮沢賢治とか好きな人へおすすめ
★★★☆☆
小説を読む上での前提条件を台無しにするコメントをしてしまうと、ここまで長くする必要あったの?と思ってしまいましたが、きっと著者にとってはどれも欠くことのできないシーンだったのでしょう。と思いたい 笑
物語がどこで行われているのか、などがよく分からない不気味さは宮沢賢治ファンにおすすめかも。
こんなこと云ってますが最後に泣きました。
見えなくても無いとは限らない六本目の指
★★★★★
「手品師の舞台は、演芸小屋や劇場にかぎらない。私たち手品師は、この世のどんな場所でも、指先からコインをひねりだし、カードを宙に浮かせ、生首のまま冗談をとなえつづけなければならないのだ。いうなれば私たちはみな、そろいもそろって、目に見えない六本目の指をもっている。手品師たちのその見えない指は、この世の裏側で、たがいに離れないよう、密かに結ばれあっているものなのだよ」
ファンタジーの名手いしいしんじの傑作長編。
山間の村にただひとつあるプラネタリウム。そこに捨てられた双子のテンペル・タットルを中心に悲喜こもごもの人間模様を綴る。
剣も魔法も出てこないけど、この人の書く本はすべからくファンタジーだと思う。
どこかにありそうでない街。現実離れしてるようで、現実を引き継いだ世界観。よい人もいれば悪い人もいる、正直者もいればずるい人もいる。金持ちも貧乏人も、大人も子供も、強者も弱者も……そして彼の作品の主人公は普通の人より少し不器用で、少しだけ世界からずれたところに存在する者。
プラネタリウムに捨てられた双子は泣き男に拾われ育てられ、銀色の髪の美しい少年に成長する。
毎年工場では父親のわからない子供が産まれ養護施設に預けられる。煙突が吐き出す煙のせいで空は曇り、星は見えない。労働者は皆疲れている。そんな村で唯一、村人の娯楽として偽の星空を映し続けるプラネタリウムでは様々な出来事が起きる。
十四歳になった時、テオ座長率いる手品師一座が村を訪れたことによって、二人はそれぞれ別の道を歩むことになるのだがー……
優しくて哀しくて痛くて切なくて、いろんな感情で胸が一杯になる。
綺麗で楽しいばかりがファンタジーじゃない。
実際、作中では少なからぬ悲劇がおき、少なからぬ涙が流される。
時に、不幸に打ちのめされた人の心は絶望の闇で塗り潰されそうになる。
けれど
「くらやみなんです」
「もちろん、そこには何も見えません。見えないから、闇というのです。でもだからといって、そこに、なにもないとは、いえませんでしょう。なにかがあると感じるからこそ、われわれはきっと闇にひかれ、そして闇をおそれるのでしょうから」
作中泣き男が語るこの台詞こそ、本作の、ひいてはいしいしんじ作品すべてに通底するテーマを象徴する。
作者は目に見えないことやものを軽んじず、尊重し、あくまで純粋に向き合い、描き出そうとする。
哀しい過去を背負った不器用で真摯な人間達。
彼らが哀しみと折り合いをつけなんとかやっていこうとする姿勢が、自分が辛い時さえどん底の誰かをすくい上げようとする優しく気高い志が、「感動」の一語で括れない深遠な余韻を帯びて胸に迫る。
犬と兄貴のエピソードには思わず泣いた……。
まっくろい夜空に本当は何万光年も離れているのにともにあるかのように輝く星々
★★★★★
「プラネタリウムのふたご」は、プラネタリウムと手品という「騙し」を生業ににしてゆくことになる、銀色の髪のふたごテンペルとタットル、そしてふたごの人生の重要なモチーフである熊の物語です。彼らが見せる「騙し」は、自分のしていることをわかっているかどうかで人々の喜びにも猛毒にもなり得るものですが、時に本物以上に見える美しく尊いものであるという側面も持っています。そしてまた、ふたりがそれぞれ抱えている「まっくろくておおきいもの」へのアプローチの仕方が対照的で、そっくりなふたごが異なる人間であることをよりくっきりとさせています。タットルははじめ「まっくろておおきいもの」と上手に距離をとっているように見えますし、テンペルは自らそれを飲み込むことになるのでとてもはらはらします。ひとつところで暮らすタットルの人生に対し、旅をするテンペルの人生は活発で動きがあり充実して見える分、危うくも見えてしまいます。けれどまたタットルの人生も、淡々としているようで日常の中にテンペルと同じように動きも充実も危うさもあるのだと思います。
それぞれがそれぞれの方法で日々「騙し」ながら「まっくろくておおきいもの」とのふたごの長いひとりぼっちの取り組みは、果ての果てまで読むわたしを掴んでは離してくれませんでした。一緒に果ての果てをみてしまった、という気持ちです。
プラネタリウムに感動する純な工場員を読んでは、こどものころのはじめてみたプラネタリウムを思い出し、テオ一座の手品の舞台を読んでは、はじめてみたボリショイサーカスのことを懐かしく思い出す機会にもなりました。また、知恵の輪のモチーフも扱い方も絶妙でした。不思議な物語なのに、普遍性もあるのもこの本の魅力だと思います。まっくろい夜空に本当は何万光年も離れているのにともにあるかのように輝く星々のようにどこかでつながっているのだと思います。
大人と子供の間に
★★★★★
いしいしんじさんの物語は「ぶらんこ乗り」にしても、「トリツカレ男」にしても、悲しさと懐かしさと甘酸っぱさと……そんな何か琴線に触れてしまう要素がたっぷり含まれている。
ちょうど大人と子供との間のわずかな時間の間に感じる感情か、大人の中に残されている子供の感情か、「泣ける」とか「感動する」ではなくて『感じる』ことができる。
「プラネタリウムのふたご」はタイトル通り二人の少年の話。プラネタリウムに捨てられた双子が、星の見えない村で育ち、ちょっとした出来事で離ればなれになり、一人は手品師、一人は郵便配達夫をしながら星の語り部となる。
それぞれが遭遇する事件は切なくもあり、二人の成長を促す糧でもあって読んでいてちっとも飽きがこない。休日のゆったりとした昼下がりに寝ころびながらでも文を辿っていって欲しいなぁ。