クラプトンが敬愛する1930年代の伝説的ブルースマン、ロバート・ジョンソンのカバー集という変則的アルバムだ。エレクトリックとアコースティックを交え、ブルースへの敬意と愛情がたっぷりと込められているが、現在のクラプトン・スタイルで演奏されており、企画盤という印象はまったく受けない。あくまでオリジナル・アルバムとして楽しむことが可能な、完成度の高いアルバムに仕上がっている。かつてクリームやブルースブレイカーズでカバーしてきた曲はあえて外している芸の細かさもうれしい。クラプトンを、そしてブルースを愛する者すべてにとって必聴の秀作だ。(山崎智之)
買い、か・・・。
★★★☆☆
その心意気やよし、といったところですか。本作だけをそのキャリアのなかで切り取って評価すれば、クラプトン、なにかほかにもっとすることあるでしょう、お金になることとか、ただし、それはそれでまたひとこと言わせてもらいますが、といったところですが、まぁ山下達郎氏のラジオで聞いたディオンのブルースはあれはあれでまた聴き応えありましたし、後年まぁあれはあれで有意義なことでありました、といった世間の変節を期待して☆みっつ。個人的には正直もう聞かないとは思いますが。
ミュージシャンとしてやってやいけないこと。聴く価値なし。
★☆☆☆☆
クラプトンはブルースマンではない。勘違いしている人が多いが、彼はブルージィなプレイができるだけであって、プルースはひけない。7thのコード進行でブルースの形式をひいても、ブルースプレイヤーではない。ペントニックで弾いたからといって、ブルージィなだけであってブルースではない。ブルースはそんな簡単なものではない。
白人のブルースプレイヤーはスティーヴィー・レイ・ヴォーン、その兄のジミー・ヴォーン、やきが回ってしまったがデイヴィッド・ギルモアくらいしかいない。
多くのブルースのイベントやブルースマンのアルバムに参加してプレイをしているが、話にならない。おかしなアレンジでフルカバーアルバムを出すことはベテランミュージシャンのやることではない。子供じみた趣味としか言い様がない。ブルースマンへの本当の敬意を表すなら、ロバート・ジョンソンをギター1本で完コピするか、ライブ版として出すべき。NHKの番組で山崎まさよしはロバート・ジョンソンを完コピしていた。クラプトンは完コピができないからおかしなアレンジしたんだろう。ビリー・ジョエルはニューヨークの想いでリズム&ブルースや黒人音楽へ敬意を見事に表した。敬意を評すとはそういうものだ。エアロスミスのブルースアルバムもひどかったが、まだ評価できる。
白人の感覚とはそんなものか、と情けない。大御所にはだれもダメ出ししないからこんなものが出来てしまうのだろう。聞く価値なし。
うーん・・・
★★☆☆☆
このアルバムは、クラプトンが大好きなら問題なく楽しめるでしょう。
ロバジョンには、こういう曲もあるんだみたいな、いわばカタログのような作品です。
リアル・ブルースを聴くのは、ちょっときついという人には、いいかもしれませんね。
私は正直駄目でした。ロバジョンと比べるなんて全く意味がない事ですが、(別の人間なんで)せめて、もう少し何とかならなかったのでしょうか・・・
例えば、ラブ・イン・ヴェインですが、あれは悲しい曲なはずなのにクラプトンverは楽しく
聞こえます。ストーンズverの方が雰囲気でてると思います。
クラプトンは気軽に聴けるけどRJは、そうはいきません。
あの不気味な雰囲気(ギター、声)を紳士のクラプトンに期待しても難しいですよね。
何だかんだ言っても、かつて私にRJの存在を教えてくれたのはクラプトンですし、そもそも
ブルースというジャンルを教えてくれたのもクラプトンなんで、そういう意味では凄く感謝してます。このアルバムをきっかけにRJのファンが増えることを願います。
『痛み』
★★★★★
~~最も感受性の鋭敏な傷付きやすい思春期にクラプトンが最も影響を受けたロバート・ジョンソン。ジョン・レノンの名盤「ロックン・ロール」然り、ジェフ・ベックの「クレイジー・レッグス」然り、思春期に最も影響を受けたアーティストのカバー集には思春期特有の『痛み』を感じる(クラプトンが60歳になってもだ)。その『痛み』を感じ取れるからこそ、こ~~のCDがクラプトン愛好家・ブルース愛好家のみならず万人に受け入れられる要素だろう。尚、このCDを2倍楽しむ為にはロバート・ジョンソンの「コンプリート・レコーディングス」(豪華ブックレット付きCD2枚組で安い)を併せて購入する事をお薦めします。~~
クラプトンはブルースマンなのか?
★★☆☆☆
クラプトンはブルースマンなのか?違いますよねー。ブルースしかできないのがブルースマンだとオイラは思います。クラプトンってブルースを愛してやまない不器用な(テクニック的にではなく)男という感じがしますが、実際はその時々によってスタイルをうまく変化させていく、けっこう器用な人だったりします。R・Jのカバーということでどーしてもオリジナルとくらべてしまいますよね。くらべちゃうと、あー、クラプトンもまだまだだなーと思ってしまいます。しかし、これはまた一つ課題ができたということで、結果的にはよかったんじゃないでしょうか?オリジナルを知らずに聴くなら、そこそこいけます。ただしオリジナルを知ってるとR・Jのほうを聴いてしまうと思います。クラプトンの音楽寿命が延びた(?)アルバムでは?