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夢・アフォリズム・詩 (平凡社ライブラリー (149))

価格: ¥1,258
カテゴリ: 新書
ブランド: 平凡社
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アイデアの宝庫 ★★★★★
 牢獄とでも、彼は折り合いをつけたことだろう。囚人として終わるということ―これもひとつの人生の目標かもしれない。けれどもそれは格子の檻だった。無頓着に、横柄に、我がもの顔に、格子を通して世間の喧噪が出はいりした。囚人はもともと自由だった。なににでも参加できたし、外の出来事で彼の見逃すものはなかった。檻から立ち去ることだってできただろう。格子の鉄棒は一メートル間隔で立っていたんだから。囚われてさえ、彼はいなかったのだ(p.204)。

 カフカは、近代資本主義の帰結としての「鉄の檻」を論じたマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムと資本主義の精神」(初出1904年)を、おそらく読んでいたでしょう。おそらく、このアフォリズムは、ウェーバーの悲観的な議論に対するカフカの返答でしょう。

 家畜は、主人の鞭をのがれ、自分自身を鞭打って主人の立場に立とうとするが、それがただの幻想にすぎないことを知らない。主人の鞭紐にあたらしくつけた結び目から生じた、幻想にすぎないことを(p.160)。

 このアフォリズムは、ミシェル・フーコーのいう「生権力」や「規律=訓練(ディシプリン)」の概念を先取りしていたと言えるでしょう。

 謙虚さは誰にでも、孤独な絶望者にさえも、隣人に対するきわめて強力な関係を作り出す、しかもたとどころに。ただし完全な、持続的な謙虚さの場合に限るけれども。そうしたことが可能なのは、謙虚さが真の<祈りの言語>であり、同時に崇拝であり、もっとも強固な結びつきであるからだ。隣人への関係は祈りの関係であり、自分自身への関心は<ひたすらな志向>の関係である。祈りから、こうしたひたすらな志向のための力が獲得される(pp.196-197)。

 カフカが、マックス・ウェーバーの言う近代資本主義の「鉄の檻」に対抗する拠点として、信仰生活を考えていたことがよくわかる文章です。

このように、読めば読むほど味の出るアイデアの宝庫です。
立ち止まって考えてみよう。 ★★★★★
少し長めの引用を。

 僕は、およそ僕自身を咬んだり刺したりするような本だけを読むべきではないかと思っている。僕たちの読んでいる本が、頭蓋のてっぺんに拳の一撃を加えて僕たちを目覚めさせることができないとしたら、それではなんのために僕たちは本を読むのか? 君の書いているように、僕たちを幸福にするためか? いやはや本がなかったら、僕たちはかえってそれこそ幸福になるのではないか、それに僕たちを幸福にするような本は、いざとなれば自分で書けるのではないか。しかし僕たちが必要とするのは、僕たちをひどく痛めつける不幸のように、僕たちが自分より愛していた人の死のように、すべての人間から引き離されて森の中に追放されたときのように、そして自殺のように、僕たちに作用する本である。本は、僕たちの内部の凍結した海を砕く斧でなければならない。そう僕は思う。・・・p314-315

もう少し。

 ところが君の手紙は、僕にはいい効き目があった。というのは誰かが一種の真実を語ると、僕はそのことを不遜だと思うからだ。その誰かはそれによって僕に教えを垂れ、僕をおとしめ、反証をあげる労苦を僕に期待するのだが、彼は自分の真実を難攻不落と思っているにちがいないから、自分のほうは安全地帯にいることになる。しかし他人にひとつの偏見を語ることがいかに儀式ばっていて、無分別で、そして感動的であるとしても、さらに感動的なのはその偏見を根拠づけること、それどころかあらためて数々の偏見でもって、それを根拠づけることである。・・・p316

読む、というより考えることの方が大事なのかなと思います。いちいち立ち止まって。問題は読者が気づけるか、ということ。すごいことをさらっと言うので。
きれいで誠実な思考と人柄 ★★★★☆
日記、手紙、ノートなどのコンテンツから抜粋され、
夢、アフォリズム、詩などのカテゴリーに分類された文章が、かなりのボリュームで掲載されています。
カテゴライズされているといっても、コンテンツの性質上統一されたコンセプトのようなものは皆無といってよく、
短編集などに収められている種類の作品も一切期待しないほうがよいでしょう。
“怠惰は、すべての悪徳の始めであり、すべての美徳の絶頂である”
“天空は沈黙している。ただ沈黙する者に対してだけは、こだまを返す”
“お前と世界との決闘に際しては、世界に介添えせよ”
などの短いものから、『掟の門』程度の長さのものまで、文章の尺もさまざまです。
ただカフカという偉大な作家がほとんど無名であった生前、日常的にどんな文章を書きどんなことを考え日々を過ごしていたのか、その一端を垣間見ることはできます。
また『城』において、果てしなく繰り返される長い会話のやりとりなどは、おそらくごく自然に苦もなく紡ぎだされていったのであろうと、容易に想像できるようなくだりもあり、作品の源泉を感じさせる記述は多数見られるのですが、
全体としてはどうしても散漫で、資料的価値が強く、小説に溢れている魅力、とりわけあの目のくらむような不思議な現実感は乏しいといえます。
代表作といわれる作品に触れ、人間フランツ・カフカに強い興味を持たれた方にのみお勧めします。
個人的には、ストイックで誠実な観察眼が捕らえた、一見複雑に入り組んだ膨大な思考のすべてが、彼のなかでは整然と、しかし強く表出を待ち望んでいて、カフカはそれらを書き写す作業に日々追われていたように思え、少し気の毒な気持ちにもなりました。
カフカ自身は“書くことは憧れだった”と記していますが、天才とはそういうものなのでしょうか。