二度、読んでも面白かった。
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昨年、購入して読了していた本書だが、きのう、なんとなく気になってまた読んだ。
読者をぐいぐいひっぱる軽快なテンポ、どこからともなくほのかに香るユーモア、
非現実的存在のはずの霊魂のとてもリアルな存在感。
面白い。二度、読んでも面白い。
巻末に寄稿されている美輪明宏氏の威風堂堂たる文章も、読み応えがあった。
霊魂を信じるひとも、そうでないひとも、この世にいる間にぜひご一読あれ。
こころに新しい眼が開くかも。
たましいと科学の融合
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私たちの住む世界は、三つの層からできているらしい。
1.日常世界−実際に眼で見、手で触れられる具体的な世界。
2.情報・伝聞の世界−火星があるとか、ガラパゴス諸島にイグアナがいるなど、他人の伝聞や情報だけから構成された世界(これは体験しようとすれば可能)。
3.神話=フィクションの世界−神が世界を創った、宇宙の果てはお花畑になっているとかといった、絶対確かめようがない世界。
私たちは、だいたいこの三つの世界の中で暮らしています。1と2は科学的実証の手にかかるとその「あるーない」が明確に色分けされます。
では、「死んだらどうなる?」。
「無になる」。これは科学的事実に基づいた見解。そこで、考えの倍率をあげて、死んで生き返った人がいない(臨死体験は死んでいない)以上、実は「死んだらどうなる?」という問いは、生きている人間には決して答えることができない「3の世界」の問いであります。
でも、この神話=フィクションの世界が持つ豊かな物語が、人間のこころやたましいにどれだけ潤いを与えるかは、例えば「千の風」や本書、芸術や音楽、小説や詩という物語=フィクションに触れればすぐに体験できます。
河合隼雄氏は、人間の意識を下降してゆくと「激しいラップ音」や「ダンボール箱2個の消失」、「知らぬ間に水浸しになるカーペット」(本書)が、起きるし、これらが祖先の霊・他の死者の霊の仕業であると思えてくるのだと。これをユングは、「意味のある偶然の一致」と言いました。このような深い、たましいの体験をすることによって、人間のこころは成長し、潤いを得ることができるのです。
物質的価値観至上主義現代日本社会を生きる私たち住民は、佐藤氏のこの物語をこころして読まなくてはいけないと思いました。
現実、「死後の世界」を信じて生きていたほうが、「ない」と考えて生きるよりずっとズット豊かになると思いませんか?
「科学的かどうか」なんて、もう時代錯誤の問い方だと思いませんか?たましいと科学の融合が、いま必要なんです!
美輪さんの音楽会で。
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佐藤愛子さんの「私の遺言」が書店になく「こんなふうに死にたい」が、たまたまあり購入しました。
不思議(必然?)なことに、次の日が美輪さんの音楽会で、かばんに「こんなふうに死にたい」を忍ばせていました。そして、「霊ナンテコワクナイヨー」のサイン入りを会場で買いました。
美輪さんが、歌の合間のトークで「こんなふうに死にたい」「霊ナンテ。。。」がお勧めで佐藤愛子さんとの経緯がわかるわよーなんて仰るんです!
「ミラクル!」でした。
もともとは、札幌生まれの私。屯田兵の発祥の地で生まれ、神武天皇を主神とする産土。
和人はシャモは、アイヌを冒涜した。
私の中で、何かが言っている。
日本人は、今、気づくときが来ている。
美輪さんも、巻末で、貴重な意見を述べている本です。
ぜひ、日本の世界の宇宙の為に読んでください。
すべての魂に感謝します。
レビューを書くのも因縁でしょうか?
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著者は一心に「取り憑く」霊の話する。この本の主役は霊たちである。アイヌの戦士の霊、遠い先祖の霊、蒙古兵の霊、また日本の古武士の霊、父母の霊、友人の霊。霊はラップ音になって、また絨毯の上の水になって存在をアピールする。
私自身、霊体験があるわけではない。しかし、そういう話を聞くのは妙に好きである。大変面白く読んだ。
似非科学で説明しようとしないところが、著者の真骨頂だ。つまり、霊たちと真正面から向き合い、格闘する。
霊との出会い。それが人生を深く生きることにつながっていると、最後に深層心理学者河合隼雄氏の解説も付いている。
誰でも一度は「死」について考えたことがあると思いますが
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この本を読みすすめていくうちに 「死」は
当然誰にでも経験しうるもので
自分だったら どんな風にそのときを迎えることが出来るか
「死」というものが身近に そして楽しみにさえ感じられてくるのである。
巻末に 美輪明宏氏が寄せている
美しい文章にもご注目!