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十字架 (100周年書き下ろし)

価格: ¥1,680
カテゴリ: 単行本
ブランド: 講談社
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子供に読ませるべき ★★★★★
 いじめは、いけないことですよ。
 現在、子供たちが置かれている環境では、いつでも、誰でもが、被害者になり、加害者になる可能性があるように思えます。しかしながら、「いじめはいけません。」と子供に、教えても、まるでブラウン管の中のことのようで現実味がなく、いじめのその先にあるものを、親としてうまく伝えることができませんでした。
 この十字架は、私のような力なき親にとって、まさに、子供へのメッセージが凝縮されています。我が家の中学3年生女子と中学1年生男子に、今、あなた達に必要不可欠な良書だと言って薦めてみたところ、引き込まれるように二人とも読んでいます。
 この本に出会うことによって、出会う方たちによって、いじめという恐ろしい魔物を、この世からなくしてくれる気がします。私にとって、重松作品の中で、一番子供に読ませたい作品です。

  
 
十字架 ★★★★☆
この物語では、そうともいえないのですが、
たとえ自分でもどうしようもなかったことでも、
責任を負わなくちゃならないことって、けっこうあるんだと思います。
ただ十字架の重たさにもいろいろあるとは思うのですが…。

いじめについてっていうよりは、
何かを背負って生きていくっていうことの
重たさを感じる本でした。







日本的な十字架理解として、ハッとさせられた! ★★★★★
自殺。しかも、いじめによる自殺を取り上げた作品としては、秀逸なものだと思います。取り分け、誰をも恨むことができないけれど、余りの悲しみの中で、好対照な出し方をする「フジシュン」の両親の姿は、悔やんでも悔やみきれない思いを丁寧に表出していると思いました。
振り返って見ると、小学校から中学時代に同級生だった男の子が、16歳で自殺をしました。ひっそりと、葬式が営まれたので、何ヶ月も経ってから、風の便りに聞いたのでした。小学校時代は何度も足を運んだ友だち……だったと思います。でも、中学になってからは、いじめられていたのに、見て見ぬフリをした自分です。疎遠になって、高校1年の秋、静かに首を吊りました。
特に、マスコミに取り上げられることもなく時は流れました。内容を一読した時に、胸をグサッと刺されたような思いになったのです。何とも、人物描写が似通っていて、驚いた次第です。そして、ユウが感じていたことは、まさに同感、でした。
自殺の後、遺族には深い悲しみが渦巻きます。これは、事故死でも同じような事でしょう。どこかに、過失を求めたくなる心境は、これまた見事に描かれていました。思わず、教育委員会や学校長らに土下座させた北海道の事件を思い出します。
しかし、現実はその相手以上に、責めるのは自分自身であることが多いでしょう。精神を病む方も多いです。これも丁寧に描かれていて、どれも、これも、リアリティに溢れた作品だったと思います。

ただ、その中で、ハッとしたことがありました。「十字架を一生の間、背負い続けなくてはいけないのだ」というくだりです。幾度も繰り返されるフレーズです。確かに、十字架を背負う、という表現は日本語に定着しています。同時に、「背負い続けなくちゃならない」と結び付いているのです。これがキリストの受難を意味していることは分かります。そして、十字架にかけられて死に至りましたから、死ぬまで背負わなくてはならない、というのは、当たっているのです。
ところが、キリスト信仰のリアリティでは、それは半面でしかありません。つまり、死んで葬られ、3日目に復活する、というリアリティがあるからです。つまり、十字架はある一定期間背負うことがあっても、そこで成し遂げられるものがある。それは「赦し」ということです。十字架は赦しの「しるし」なのです。ということは、正確には、赦しを背負うことになるはずなのです。ですから、キリスト信仰では、十字架を背負うことは、神の前にも、人の前にも赦されたことを感謝する世界になるのです。

ところが、日本語のニュアンスにはまったくそれは表現されません。逆に、この小説では、日本語のニュアンスが上手に描かれています。
サユが泣きながら謝る場面がありました。ごめんなさい、と言えば、もう良いですよ、と赦すものです。でも、そういうことは、決して自然にできるものではありません。で、赦せないし、ユウまで積もり積もった憤りを爆発させてしまいます。そして、確かに、この二人の人生には、重荷としての十字架が、深くのしかかってしまうのです。
しかし、それでも憎むのはしんどいから、やめる。辛すぎるので、それでは生きていけない。でも、「赦さない」のです。取り分け、「あの人」は赦しません。赦さないので、13回忌にもちゃんと話ができません。会釈する程度で終わります。もう一人、お母さんという犠牲を出すまでは、心を開くこともできないのです。もっと言えば、ユウに「森の墓地へ一緒に行ってくれないか?」とも誘えないのです。悲しい限りです。

赦しのない十字架とは、本来は、痛みのない腹痛、に似た矛盾表現なのですが、この作品においては、その矛盾はどうもまったく意識されていないようです。確かに著者は、ラストで、白い十字架に、救いの意味合いを多少なりとも託しているのかもしれないのですが、余りにも、赦しのない十字架を背負わされた人生は、長すぎるし、辛すぎるでしょう。切なくて、涙が出ました。

そうです。ハッとしたのは、この十字架理解こそ、人生は苦と喝破した、仏教的世界観そのものだ、ということです。十字架を仏教的に理解すると、こういう理解になるのだな、と改めて印象深く受け止めた次第です。
そして、20年以上経過して、やっと思いの丈を表現する機会を得るのです。ユウは34歳になっていました。余りに長すぎる。そういう思いを抱かずにはいられませんでした。しかし、これもまた、現実であり、リアリティあるものとして受け止めました。

人は赦すと自由になれますが、赦さないと、これ程までに、自他共に人生そのものを縛り上げてしまうことになるのか、と深く感じ入る作品でした。実に、日本的といいましょうか、日本語としての十字架の持つニュアンスについても、深く考えさせられる秀逸な作品でした。「初」重松体験は、上々でした。また折を見て、別の作品も読ませて頂きます。ありがとうございました。
ずっと読みたかったので衝動買い ★★★★★
実は発売当初から読みたかったのですが、古本になるまで待ってました。
しかしどうにも古本市場に出ないので、待ちくたびれて新刊で買いました。

正直いじめをテーマにした作品は見るのがつらく、苛めた側が主人公でも苛められた側が主人公でも
嫌だなぁ、と拒否反応を示してしまうのですが、本作は「いじめられた側(フジシュン)に近いけど、当事者では無い同級生」が主人公というのが非常に興味深かったです。

ずっと読みたかっただけあって、午前10時に読み始めて午後1時には読了しました。お昼ご飯食べ忘れるぐらい没頭したのは久しぶりです。

安易に希望を綴られてもぴんとこないし、かといって救いようのない結末ってのもいたためれないので、
本作のような結末が一番胸にストンと落ち着いてきます。
重松ファンであってもなくても一読して損はない作品。 ★★★★★
作家がどうしても書きたかったテーマを得た時、
それが重く厳しいものであっても、読者は、
引きずりこまれるように、小説の深淵へおちてゆきます。
中断出来ずに一気に読みました。

読み進めていくうち『ナイフ』や『エイジ』を書いていた頃の
重松さんが戻ってきた!と思いました。
作家自身が、泣きながら、憤りながら書いたのではないか、
という場面がいくつかあり、心を揺さぶられます。

しかし、重いテーマのみで終わらないのは
最終章に進む過程で、心の中に、美しい緑の森と
抜けるような青空と、なだらかな丘に建つ十字架の輝きが
心象風景として生まれてくること。

その風景がこの作品の‘許し’と‘救い’を読み手に伝えてきます。
自死した少年への祈りとともに。
子を持つ親として、登場人物の懊悩は他人ごとではないですが、
重松ファンであってもなくても一読して損はない作品です。