ケストナーは言う
「年代記は数を確証するが、人間を隠す。」
歴史という年代記に対峙した人間観察の記録。
1945年2月~8月 ベルリンからマイヤーホーヘンを経てバイエルンへ
彼は、いかにして終戦をむかえたか。
反ナチス作家として執筆を禁止されていた彼が、生命の危険を感じ、ベルリン脱出を決意する。
チロールの村マイヤーホーヘンへ映画撮影に向かう一行に、スタッフとして加えてもらったのだ。
架空の映画「失われた顔」を撮りに行く。
彼らも賭けにでたのだ。
ナチスが滅びるのが早いか、一行の企てが暴かれれるのが早いか。
連合軍の爆撃が続くドレスデンにいる両親の安否をきずかいながら、彼の鋭い眼差しは、さまざまな「人間」を描き出してゆく。
状況!は違うが、同じように年代記には記されないだろう記録がある。
敗戦後シベリアに抑留された詩人石原吉郎の言葉。
瀕死の人間は、肉体的に快復する方が、人間として快復するよりも早い。その快復期の時間的ズレが人を苦しめる。
第2次世界大戦という年代記の括りのなかで、「人間」を描き出した二人。
彼らの言葉は、木霊となって何度でも、私達の耳に届くだけの力強さを持っている。