フランス人作家の<毒舌>と<戸惑い>に隠された憂愁の原因は?
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フランス人作家ピエール・ロチは、『秋の日本』で明治十八年(1885年)の初来日の印象を、「この日本という国は、(中略)いかにもちぐはぐな、木に竹をついだような、本当とは思えない国である」と評した。異文化ニッポンに触れた、遠慮会釈のない<毒舌>と<戸惑い>が面白い。
花崗岩の怪獣(狛犬?)や大理石でつくられた牛(天神さんの神使い)に驚いたロチの京都土産は、「腕が六本、眼が五つある」巨大な阿弥陀像だった。「もう永い年月、秋という季節に再会したことがない」という異邦人は、秋の冷気に郷愁を誘われたのか、鎌倉や遠く日光にまで足を延ばしている。
鹿鳴館の夜会に招かれた際は、「馬車に乗る代りに人力車に乗って、黒い悪魔の子(=車夫)に曳かれてくる、風変りな舞踏会」を目撃する。主催者の貴婦人を見て「心からお祝いを申しましょう!その物腰は非常に楽しく、その変装は非常にお上手です」と呟く。「日本の紳士や大臣や提督やどこかの官公吏たち」にはより辛辣に、「彼らがみな、いつも、何だか猿によく似ているように思える」と燕尾服姿の珍妙さを揶揄してみせた。
令嬢のダンス相手をつとめた海軍士官の姿は芥川龍之介の作品で鮮やかだが、日光散策の帰り道で男の子から小銭のお礼に手摘みの花束を贈られて感激するのも同じ人物だった。赤穂浪士の仇討ちまでの期間を曽我兄弟のそれと混同している点はご愛嬌か…。
鋭い観察眼に潜む作家の感受性と叙情性の豊かさを、鼻腔をくすぐる古書の臭いを我慢すれば大いに楽しめる。