それにしても文章がいい。これは訳者がよいのはもちろんとして、ユーモアをたたえたこの筆致はプーシキンのもの。ロシア近代文学はプーシキンからはじまると言われているそうだが、それも肯ける。
シヴァーブリンなど、典型的なフラットキャラクター(平面人物、一貫して性格が変わらない人物で、性格の変転するラウンドキャラクターに比べて劣るとされる)だし、物語性が濃厚な作品なのだが、こうしてみると「小説」の限界を打ち破るのは、やはり「物語」しかないという気持ちにさせる。それは谷崎潤一郎なども、はやくから主張していたことだ。
それはさておき、プガチョフの人物造形が絶妙だ。プーシキンが皇帝に気を使いながら書かなければならなかった結果かもしれないが、その評価を善悪で単純に断じられない、人間性を描き出している。(漢の)劉邦にせよ、(「水滸伝」の)宋江にせよ、反乱の首謀者とはこういう人間なのだ、と実感させる。まったくもって奇妙・奇妙。