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いかにして高次の世界を認識するか

価格: ¥2,520
カテゴリ: 単行本
ブランド: 柏書房
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座右の書にして生涯読み続け、実践すべき良書 ★★★★★
この書物の概略は他のレビューアの方々があらかた書かれており、その素晴らしさは今さら言及するまでもない。
しかし意外なのは、「実践の書」として評したレビューが皆無なこと。
本書はそもそも、高次の世界を認識するための霊的な能力をいかにして身につけるか、という実践の書であり、画期的なほど「具体的に取り組む手段と心構え」が、実に解りやすくなおかつ注意深く選ばれた言葉で述べられている(むろん、「もっと語って欲しい〜☆」と感じるのも事実だが)。

と言うことは、ヘンな喩えではあるが、これは「飲尿」と同じく、「知識として、情報として知っているだけではまったく何の役にも立たない」と言うことになる。飲尿について語るなら、実際に尿を飲んでその効果なり変化を体験してみなければ、何も語れないはずだ。同様に、本書のプロセスを実行することで、果たして本当に高次の世界を認識できるようになれるのか?

誠に残念ながら、私はその意味ではゼンゼン完全なレビューアではない。しかし、本書を2回再読した時点でハタと「そうか。たとえ100回読んだとしても何も実践しなければ、1回読了してただちに実践を開始した読者の足下にも及ぶはずがない」と、アタリマエのことに気づいたわけである。そして実践開始。このレビューは、言ってみればその「途中経過報告」なわけである。むろん、もっと進んだ時点で語ればさらに充実したレビューが書けるのかも知れないが、逆に早々に脱落して放念してしまうかも知れないので記しておく。

というわけで私はまだシュタイナーの言う霊眼や霊耳が開拓されてはいないが、しかしさまざまなところですでに変化を体験しつつある。例えば日常の細事によく目が届くようになり、その本質把握が的確で明晰になった。動物とのコミュニケーション・レベルがいままでより確実に深まった。時間の管理がカナリできるようになった(私はアスペルガーなこともあり、単純な時間管理でさえもの凄く苦労していた)。自分の身体に関して、医者任せの発想がなくなり、身体との対話を試みるようになった(これは、飲尿を続けることでも同様の経験ができる。例えばあるものを摂取するとき、身体が『それを摂取してはいけない』と教えてくれるようになるのである)。挙動がゆっくりになり、歩く姿勢も変化した。批判的態度が減少し、第三者なりモノゴトなりをあるがままに受け容れられるようになった。等々…。。

「なんじゃい、そんなことか。ゼンゼン霊的ではないではないか」と言われても仕方ないとは思う。だが、これは確実な変化で、シュタイナーも、この手の変化がまず手始めに現れると指摘しており、現時点では実験台である私自身は、シュタイナーの予言した通りの変化を体験していることになる。それに本書でシュタイナーは「はじめは僅かな変化に満足すべきで、けっして焦ってはいけない。しかるべき時が訪れるのを待つ忍耐が重要」という言葉を、私のような読者をキチンと想定して、用意しているのだ。

最後に、もしも本書を実際に実践し、私よりも進んだレベルまで到達した方がおられたら、ぜひともレビューをお願いしたい、と思う。ただ、そこまで進むと、むしろそれを開示しなくなるであろうことは、シュタイナー自身も指摘してはいるが…。

ちなみに、私は高橋巌氏訳の「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」も2回とおり読んだ。しかし、他のレビューアの方が指摘しておられるような顕著な違いを、本質的には発見することはできなかった。やはり、原文が優れていることの裏返しなのではないだろうか。私はもちろんドイツ語は読めないが、ショーペンハウア同様、とてもロジカルに明晰な文章であろうことは、どちらの翻訳を読んでも容易に想像できる。まさに座右の書として、生涯読み続けられる、また読み続けねばならない、稀有な類の書である。
訳の新世代 ★★★★★
シュタイナーの著書、講演録は、高橋、新田両先生の訳本が数多く刊行され、訳文の文体もひとつのスタイルとして定着しているように見受けられます。そこへ、主著のひとつが1世代半(?)若い訳者によって新しく送り出されたたのは興味深いことです。ドイツ語の達者な英国の知人によると、もとのドイツ語は読者にDuと呼びかける、親しみのこもった語り口。おどろおどろしくさえ感じられる哲学書とはトーンがずいぶん違うそうです。本書の訳文も、同じように親しみやすく、わかりやすくも底が浅くならず、とても好ましいものです。日々、手を延ばしたくなるような身近さを感じます。
穏健、有益な内容 ★★★★★
 タイトルやパラパラ見た時に遭遇する専門用語に、
おどろおどろしさや、自分とは無縁の本だなあと感じるかもしれませんが、
著者の言いたいことは穏健でまっとうなことのように
感じました。

 また、普通の人が人生をすごしてゆくのに見落としがちな、
大切で必要なことがわかりやすく記してあるようにも思い、
おすすめします。
 「神秘学の学徒」という言葉などには、「私は(まだ)それじゃない」
と抵抗を覚えますが、私は特にこだわることはなく読み進めたらいいのではと
思います。

 もし手にされても、読まず、放置(積ん読)になる可能性もあるというか、
誰にでも興味が持てる本だとは思えませんが、たとえば、
他者や動物、自然との一体感を経験したことのある人、
何かに没頭しているときに自分の存在や時間が消え(悩みも消えた)た感覚を持ったことのある人、
通常の感覚ではない他の感覚で何らかの存在を感じた経験のある人、
音楽を聴いているときに説明できない感動を味わうことの多い人などは
内容に比較的入り込みやすいかもしれません。

 人間としてのあるべき条件(簡単ではなく生涯のじっくり継続するべき課題なのですが)をクリアしてゆけば
おのずと新しい世界が徐々に向こうからひらけてくるという感じでしょうか。
 自分の好み、価値感、時間の過ごし方、人生の焦点が多少なり変わってこれば、
それが自分自身が好ましい変化だと思えたら、
それで本書の効果はあったということだと思います。

 


 
 

 
どうも訳が軽すぎる。 ★★☆☆☆
 内容的にはとてつもない本で,必読と言えるものです。高橋訳の『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』(ちくま学芸文庫)と読み比べてみてください。私はドイツ語の原著を読めないのでどちらが正しい訳なのかは判断がつきませんが,あまりに両者の翻訳が伝える雰囲気の濃度に差があることが大いに気になります。この松浦訳はあまりにあっさりし過ぎており,これが原著の雰囲気を適切に伝えているのか大いに気になります。
 それに私は,松浦氏のシュタイナーに対する信者としか思えないような姿勢に大いに疑問を持っています。例えば,『ルドルフ・シュタイナーの大予言』と題されたいかがわしい本を二冊も出しているし,『神智学』のあとがきにも信者的な臭いがプンプンします。シュタイナーが大いに嫌っていたこういう姿勢を持っている人物が果たして適切にシュタイナーの思想を伝えられるのでしょうか?私は大いに疑わしいと思います。
 高橋氏の決して読みやすいとは言えない翻訳を批判する人もいますが,私は高橋氏の翻訳の方がただドイツ語を日本語に置き換えただけの翻訳よりは,シュタイナーの思想を内側から理解している人物の翻訳のように見えます。私はドイツ語の翻訳はできませんので,独断的な意見になってしまいますが,高橋氏の翻訳の方が胸に迫ってくるものを感じるし,高橋氏の『神秘学講義』(角川選書)などの著書のすばらしさからも,高橋氏の翻訳の方がシュタイナーの真意を忠実に伝えているのではないかと想像しているので,高橋訳の方を猛プッシュさせていただきます。
いかにして高次の世界を認識するか ★★★★★
この手の超能力を得るとか、悟るなどの本は過去随分読んでみましたが、今までで一番まっとうな内容だと思いました。
少し難解に感じましたが、自分はとても興味があるので一気に読破しました。
超意識を獲得するも良し、普通に生活しながらもとても人間にとり有益なことが記されています。
最後の極みまで至るには大変狭き門ではありますが・・。

人が人として自然体であり善なるところへ目を向けること要は当たり前の人間としてあるべき姿に回帰せよといっているように思います。
魂のレベルまで踏み込んだこの本は、人間の進化の道までも示され興味がつきないです。