メインの事件を半七老人が語り出す前に、話の枕として置かれている前段の部分。ここの“話のつかみ”の部分が巧いですね。その時の季節や天候、近況報告などから、実にさりげなく、話をすっと江戸の事件に持っていくところ。綺堂の押さえた筆致の旨味は、すでにこの出だしの場面から滲み出ているかのよう。実に自然な話の持って行き方、話術の巧さというのを感じます。
そして、事件の成り行きを淡々とした口調で語っていく半七の話に耳を傾けているうちに、江戸時代の空気が立ち上がってきて、まるでタイムスリップしたかのような感覚にとらわれてしまう。江戸時代の人たちが、身近に立ち現れて通り過ぎて行くかのような気配をふっと感じることがある。何げない文章の描写に、ぞくりとさせられたり、しみじみとさせられたり。例えば「津の国屋」の話の中、大屋根に大きな鴉が一匹じっとして止まっていたという描写などは、鳥肌が立つような怖さがありました。
13編の中、とびっきり面白かったのは、その「津の国屋」という話。一種怪談めいた話が進んでいくのですが、推理小説としての妙味も抜群なんですね。登場人物の常磐津の女師匠・文字春が、自分が見聞きしていることをなかなか人に語ることができず、恐怖を募らせていくところなどは、本当に怖くてぞくぞくさせられました。
「津の国屋」以外では、「三河万歳(まんざい)」「槍突き」「化け銀杏」の話が面白く、印象に残るものでした。