百人一首の英語版です。
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最近、英訳日本民話や説話などを読むが、詩歌を英語で表現するとどのようになるのかなと思っていたので、背表紙のタイトルに自然に目が引きつけられた。ドナルド・キーンの賞賛もあって購入した。
例えば、大僧正行尊「もろともにあはれと思へ山桜 花よりほかに知る人もなし」は、
High Prelate Gyoson
「Mountain cherry,
let us have compassion for each other.
Of all those I know
no one understands me
the way your blossoms do.」
これを読むと、原文の言葉の陰奥に隠れた意味が直裁に表現され、詩が表現しているものが判り易くなるような気がする。この本の英文で百人一首をもう一度鑑賞すれば原文のあらたな表現に気づくかもしれない。そんな予感を思わせる本です。この意味で単なる英訳でなく「英詩訳」としてあることも納得がいきます。英詩訳にあたっては視覚的な表現にも努めたとあるように、原文の表現を余すところなく表現しようと努力されています。
著者は、長年日本で教鞭をとるアイルランド出身の方です。同じアイルランド出身のJ,Kirkup先生の書かれた物語などを読んだりしていたので何か親近感を感じます。
日本語版のための序論はすぐれた提言に満ちており教育論としても傾聴に値します。
また、著者は日本の伝統的表現芸術を海外に伝えようとするだけでなく新しい才能を発掘し世に送り出そうと意図しているようでもあります。横井山泰という画家の定家像などはあまりに斬新で、従来の観念に縛られたアタマには初め違和感を覚えますが、自分の中の固定観念に気づかせる一助ともなりおもしろいです。著者のあとがきの最後の最後に感動的な一節があります。このような本を書いてくださった著者に感謝の念を持って手にすべき本であります。
古典と英語好きの高校生にもおすすめします。若いうちにこそ感じ入るべき百人一首の世界が、和文と英文の併記で広がります。
言語の相違を超えて紡ぎ出される普遍の美
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マクミランは韻律に囚われず、元の歌の本質に対して虚心坦懐に向き合った結果、
彼我の言葉の違いを超えた普遍の美を紡ぎ出している。
その結果、幾つかの歌は(誤解を恐れずに言えば)東洋の詩歌の訳ではなく、
恰も最初から英語で書かれた、古い英国の詩であるかのようだ。
それはまた、往古と現代という時代の違いをも超越し、
我が国古典の精髄が持つ不朽の価値を異なる角度から照射するのである。
31文字という制約下にあって元の歌が省いていた言葉は、
訳出に当って過不足なく補われている。
そのようにして詠み手の絶唱を遺憾なく捉えたものとして、
三条院「心にもあらで憂き世にながらへば恋しかるべき夜はの月かな」
の訳に先ず指を折りたい。
一方で掛詞にも実に細やかな工夫が凝らされているが、
在原行平「立ち別れいなばの山の峯におふる松とし聞かばいま帰りこむ」への
"...If I hear you pine for me..."という訳はその最たるものである。
少しだけ苦言。
"Emperor Tenji"に対して"Sanjo In"とは如何に("Emperor Sanjo"で宜しかろうが・・・)。
門院も"○○○-mon In"というのはいただけない。
持統天皇も"Empress"とすべきである。
NHKテレビの日本紹介の延長で
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NHKテレビで、Jブンガク、トラッドジャパンなど、日本を英語で紹介するのが流行りのようです。
それではと、本書を購入することに決めました。
作者は、アイルランドの方で、日本に長らく住んでいて、
日本の文化が染み付いているとのこと。
日本的な発想で、英語で表現しようとされたらしい。
英語は得意ではないので、作品の価値はわからないが、
英語の勉強によいかもしれないと思い購入しました。
NHKテレビで、Jブンガク、トラッドジャパンなど、日本を英語で紹介するのが流行りのようです。
それではと、本書を購入することに決めました。
タイピング入力して、英語の持ち味を確かめられるか挑戦してみます。
解説文を読んで、疑問な点は3つです。
1つめは、へんなカタカナ語で、絵のための詩について語っている。
百人一首は、詩のための絵が大事なので、逆ではないかと思った。
2つめは、子供の教育についてである。
百人一首は、かるたとして教育しているのであって、文法を教育しない。
涼宮ハルヒの物語に出てくるように、鶴屋さんと、上の句と下の句を読みあうというように、
上の句と下の句を分けて、読んで、かるたをとることを教えるのが先です。
つまり、音を楽しみ、次に絵をたのしみ、最後に意味に到達することがある。
最後に、上記の風習から、必ずしも、意味をとることが大事ではなく、
上の句と下の句に分けることが大事であることが抜けている。
英語の翻訳はよいとのことなので、一度、上の句と下の句に分けてみます。
温故知新。和歌の英訳の限界と新しい可能性に気付かせてくれる。
★★★★☆
五・七・五・七・七のたった31音の定型詩、和歌。短音節語彙の豊かさという日本語の特徴と掛言葉などの修辞技巧をフル活用することで字義どおり以外の解釈(double meaning)を可能にするとともに、音韻と余韻を味わうことが出来る究極の詩(うた)。和歌は日本語でしか味わえない部分があり、翻訳には限界があります。(この辺りの翻訳の苦労話は"日本語版のための序論"で詳説されています)しかし、本著者は和歌に込められた意味を汲み取って、定型に捉われず、しかし英詩として端的かつ平易に表現することに成功しています。
例えば「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」(小野小町)は次のような抒情詩として生まれ変わっています。
A life in vain.
My looks, talents faded
like these cherry blossoms
paling in the endless rains
that I gaze out upon, alone.
(この"...upon, alone"が醸し出す余韻が なんとも心地良いです)
また日本語特有の音韻の面白さは表記法の工夫で醸し出そうというアプローチも面白いです。(「足引の山鳥の尾の...」(柿本人麻呂)の"長々しさ"を印刷のレイアウトで表現) また「...逢坂の関」(蝉丸)の訳も表記法と押韻の工夫で実際に人が行き来する躍動感が表現されています。こうして英語を通して和歌を愉しみ、日本の詩歌の美しさ・面白さを再発見できます。まさに「温故知新」の一冊です。
本編で日本語・英語の語彙解説などは殆どないため、"万人向けでない"という意味で★4つに止めましたが、個人的には★5つです。(なお原著はこちらです)