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ガラテイア2.2

価格: ¥3,360
カテゴリ: 単行本
ブランド: みすず書房
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   本書の主人公「作家リチャード・パワーズ」は架空の人物。数年間の外国生活を終え帰国した彼は、超有名な巨大組織「高等科学研究センター」のアメリカ駐在人間性研究者としての職に就く。そこで彼が出会ったのは、ずけずけとものを言う神経学者フィリップ・レンツ。彼の研究はコンピュータベースの神経組織をもつ人工頭脳の開発だ。いつしか2人は協力しあい、奇妙だが実に野心的なプロジェクトに乗り出す。それは「人工頭脳に英文学を教え込み、難解な修士試験に合格させる」というものだった。

   プロジェクトが進むにつれ、彼らのつくり出した「子ども」はすさまじい勢いで情報を吸収、その興味はしだいに世俗的なことに向いてくる。じきに「子ども」は自分の名前や性別、人種、存在意義を教えてくれと言いはじめた。ところがその相手をするうちに、パワーズも自問自答をくり返すようになる。自分の職業選択は間違っていなかっただろうか、以前の教え子と長年にわたってうまくいかなかった理由は何か、なぜ「子ども」の競走相手に選ばれた修士候補生に強い執着を感じるのか…。それはパワーズにとってのたしかな「目覚め」だった。(Amazon.com)

モーツァルトを聴く人工頭脳学者 ★★★★★
本書の面白さは各レビュアーの書いている通りで、読むべき価値のある傑作である。これこそ小説である。
1点、周辺的なところながら、語り手が「世界で最も痛ましい音楽」としてモーツァルトの『クラリネット協奏曲』を挙げていることに感じ入った。まったくその通りだ!
作曲家最晩年のうっかりするとBGMとしても聴けるような、一見穏やかな優しい調べ。第2楽章がそれであるが、このなかに「最も痛ましい」魂を聴き取る作家の感性。物語の愉悦のなかで、さりげなく言及されるノイズのようなものに過ぎないかもしれないが強烈な印象を残す。聴いたことのない読者は、是非同曲を聴いてみられることをオススメしたい。
理解するまで、読んで。適当に読まないで。 ★★★★★
手間がかかった。この上なく複雑。 南へ向かう列車を思い描いてほしい。この1文は28ページに登場し、その後何度も登場する。そしてこの文章が何なのかが判るのは318ページだ。そして判った瞬間に愕然とする。 アルファベットで呼ばれる人や町。アルファベットではなく呼ばれる人や町。これも恐ろしい。 まだまだ判らないことが沢山ある。そもそも「マルセル」という徒名の理由。心当たりはあるが、確証はない。最後の文章に至っては皆目見当がつかない。当面、この本は私のPCの隣に置かれることだろう。解明しなければ読み終えたことにならない疑問が多々残っている。そしてこの著者の最初の作品「舞踏会へ向かう三人の農夫」をやはり読まない訳にはいかない。そっちから読むべきだったのだ。主人公はこの本の著者として描かれているからだ。やれやれ。
ところで、装幀も見事だと思います。サイレントポエッツも好きです。
2004年ぐっときた大賞。 ★★★★★
おとぎ話のような時間でした。

人によって創り上げられ育てられた「少女」が、やがて自らを決するまでの過程が、彼女を育てる「僕」の、思い出に区切りをつけやがてゆるやかに回復してゆく過程とあいまって軸となり、さまざまな人々がおのおのの運命に返ってゆくのを、目の当たりにしているようでした。
「誰かが誰かを愛している。誰かが何かを愛している」のくだりは、衝撃としか言いようがなかったです。涙がにじみました。
読み終えてなお、心に響き続ける物語です。

物語の進行において、大脳生理学やさまざまなプログラミングについての話が展開します。確かに飛ばし読みはできないとしても、それをはるかに超えて展開される穏やかな「おはなし」に、じっくり堪能できます。

ひさびさに良い本に出会いました。
現代アメリカ文学の一群において、この荘重な物語は、フォークナーに匹敵すると思います。
ノーベル文学賞とってくれ。

AIと感傷 ★★★★☆
Richard Powersの小説の中では比較的読みやすい。とは言え、英語は相変わらず難しく、語彙が半端ではない上に、たぶん何重にも引用が施されているらしいので、どこまで理解できたかは怪しいところではある。しかし、この小説の場合、引用自体はあまり問題ではないのだろう。AIに文学的感性を教えようとする部分と並行して、きわめて感傷的で自伝的な印象を与える、終わった恋愛が語られる。小説全体としては失恋から立ち直って外界とのコミュニケーションを再度獲得するまでの物語という印象が強い。自己再生とかいった大げさなものではなく、アメリカのインテリがいろいろあったけど、人との関わりに気づいて自己をとりもどすといったような。

書かれてから少したつので、インターネットを最初に使ったときの感激を描いている部分などはどうしても古さが目立ってしまう。またAIの記述に関してもコネクショニズムの説明は表層的で、AIが意識を持っているかどうかに関する批判的な記述はなく、割と古風でロマンティックな解釈に終始してしまうのがやや残念ではある。しかし、思わせぶりな反応を見て意識を見いだすのは人間の勝手とすると、これはこれで正しいのだろう。Solarisのような深さはないが。

日本の作家がこのような小説を出版すると、ただひどい批評を受けるだけだろう。しかし、いろいろな意味で正直に自分を描いた小説と感じられ、読後感はむしろ良い。AIという装置に大きな期待を抱かなければ、良い小説と思う

ツマラン ★★☆☆☆
パワーズの著作群の中で、一番ツマラナイと個人的に思っている本作が、なぜこの国で2番目に翻訳されたのだろうか。って疑問を呈してみるも、おそらくの答えは邪推できなくもない。この国の対象読者のスノビズムを一番に満足させることができるから出版されたんだろう。ペダンティックが適度に塗されて、エクスキューズ付きの感傷性がある本作は、想定読者には本当にピッタリ。

ツマラナイ作品をなぜツマラナイかわざわざ書くのほど面倒なことはないので少しだけ。

A.Iが既存の文学に言及することによる刺激的で新規な文学解釈が読むことができる小説かと思って期待してみれば、文学作品はタイトルの羅列のみで、その羅列によって描かれる物は、現状の文学界の蛸壺の痴態(本作の主人公にのみ限定するなら作品タイトルであるの自己愛の欺瞞と矛盾)であり、それらを延々と読ませられ非常に苦痛を感じた。

以下は作品内容への穿った邪推。長編作家が、こういう疑似私小説を書くことでセルフカウンセリングすることはその作家の履歴の中では必要な通過儀礼かもしれないが、別に読者はそれにつき合って詣る必要はないのではないか