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スピリチュアリティの社会学―現代世界の宗教性の探求 (SEKAISHISO SEMINAR)

価格: ¥1,995
カテゴリ: 単行本
ブランド: 世界思想社
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好著、ただし宣言されるほど革新的ではない ★★★☆☆
ほめ言葉から――
「スピリチュアリティ」なる言葉には 強い違和感があった。
それがオカルトであること、が理由ではない。 むしろ 第一に
本質において完全に個人主義
 (人とのつながりが大事と言いつつ、結局は 自分探し)
 (私の幸せ、せいぜい身近な人の幸せ がすべて といった)
 (共同性を個人が利用するかのような、道具主義的な傾向)
 (そして この目的にとって それはたしかに有効なのだ)
これと完全に連動して、グローバルな体制批判がない
 (先進諸国の都市インテリ・エリートの神秘主義)
 (第三世界の都市スラム街や僻地農村 その「現実」への無関心)
 (正確には、優しいまなざしを装った不関与、愛を語るだけ語る不活動)
 (せいぜいエコロジーどまりの。ただし、ごくまれに例外あり)
だから、私自身は 一連のスピリチュアリティ文化とは 一線を画してきた。

これに加えて、第二に
スピリチュアリティ研究者とスピリチュアリティ文化人との区別がしづらいこと。
 (研究者も その世界にどっぷり という強い印象)
 (批判の観点がない、とは言わないが、弱い、かなり弱い)
 (研究者自らが「グル」になろうとしているかのような・・・)

本書は、この第二の違和感をかなり低減してくれた。
スピリチュアリティ研究も まんざら捨てたものではない、と。
 (この点、とくに弓山達也さんのオウム論が印象的だった)
スピリチュアリティ文化が宗教論にとって重要なのは分かっていたから、
これを契機に 他の本も読んでみよう と思うようになった。

難点は――
「宗教社会学」が「宗教研究」全体を代表するかのような語り口
 (端的に、勉強不足の執筆者がいる)
 (たとえば、その方、京大系宗教哲学を読んだことがあるか?)
執筆陣が意気ごむほど、革新的な「宗教研究」ではない
 (仮想敵である「かつての宗教研究」とは誰のどの作品のこと?)
 (この本自体、宗教社会学の小気味いい小著、という程度なのでは?)

宗教論の革新、されど ★★★★☆
現代人の宗教的な性格を上手くつかみとり、同時に宗教の学問的研究の刷新をはかるのだ、という挑戦的な本。まあ、基本的には宗教に関する短めの論考を集めた研究書である。学者としては若手の人々が執筆メンバーの中心で、既存の宗教研究に対するかなり挑発的な主張もみられるが、この道の専門家でないと、何が批判の対象なのか、よくわからない。「素人」にはむしろ、同じタイプのより一般向けの作品である『スピリチュアリティを生きる』(せりか書房)をおすすめする。
しかし、自己啓発セミナーから現代西洋の新宗教、ライフ・スペースあるいはオウムまでを扱った事例研究はそれなりに知見を広げてくれるが、結局のところ最終的には何を言いたいのかが、何をわかってほしいのかが、不明瞭であった。各論者のフィールドや理論が多様なのはよいが、どうもまとまらない。彼らは現代社会・宗教の「ゆるやかなつながり」なるものを強調するが、そしてそれは事実なんだろうが、それゆえに「研究」としてはひたすらぼやけていくのである。
本書で一番おもしろかったのは、最後の方のコラムにある、「麻原に会った晩」という文章である。そこに「研究」めいた分析や解釈はないが、しかしかなり色々なことを考えさせられた。現代宗教の不可解さは、もはや「学問的」な語りにそぐわないところにきているような気がするが、どうか。