冷戦後の21世紀の覇権を巡る争いの根元を探る良書
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パワー(経済力と軍事力)を持つ国=大国は何故に戦争を引き起こしてしまうのか。この問いに答えるための理論として、著者はオフェンシブ・リアリズム(攻撃的現実主義)を提唱する。大国は、戦争を抑止する仕組みが無い現実を直視し、自国の安全保証のためにさらにパワーを手に入れようとするものである、という理論だ。
大国は安全保障のためにその地域の覇権国であろうとする。大国が覇権国になれる可能性を持つとその地域は不安定化し、戦争が起こる可能性が高くなる。大国が安全を求める衝動が悲劇を生むのである。最も安定なのは、世界に2つの覇権国がある状態(例えば冷戦時代)だという。
本書では、この理論を過去200年の大国(昭和20年までの日本を含む)に当てはめ、多少の例外を除いて戦争の原因を説明できることを示す。また、21世紀の不安定要素となる国としてロシアとチャイナを挙げている。
ちなみに現在の日本は核兵器を持っていないため、大国ではない。大国の戦争があれば巻き込まれるだけか、代理戦争をやらされるだけの小国である。
攻撃的リアリズムの原点
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ウォルツらの「防御的リアリズム」に対してうちたてた「攻撃的リアリズム」の開祖ミアシャイマーの主著。
ネオリアリズムの文献邦訳は少ないのでこういうのは価値が高い(だからこそ索引と注もきちんとつけてほしかった)
本書で提示される「攻撃的リアリズム」の骨格は
1 国家の目的は国家の生存にある
2 1を達成するには、国際関係の構造上、他国より強いパワーを持たねばならない
3 よって、各国は常にパワーを求めて争うことになる
という論理である。
2の「構造」というところに、国際政治のアナーキー性や他国の意図が完全には読み取れないことなどが入ってくる。
モーゲンソーの古典的リアリズムでは、国家の目的自体をパワー追求にしているが、ネオリアリズムはそれは非現実的だと批判し、目的はあくまでも生存だとする。
だが、ウォルツらの防御的リアリズムではある程度のパワーで満足して均衡へ向かうのに対し、攻撃的リアリズムでは飽くなきパワー追求が発生するとして、結果としてはモーゲンソーに漸近することとなる。
こうした攻撃的リアリズムが国際政治の過去の流れをうまく説明できていることを、さまざまな事例を用いて論証している。
また、そうした大国の生き残り戦略として、バランシングやバック・パッシングなどが提示され、過去どのようにそれが用いられてきたかが説明される。
これについては、特に日本人は知らぬ間にバック・キャッチャーにされて他国に利用されてしまうと思う、だから攻撃的リアリズムを支持する、しないにかかわらず、そういう他国の戦略があることを知り、そうした戦略に載せられないように気をつけることが重要だな
、と思わされた。
もちろん攻撃的リアリズムはかなりの単純化を行っているため、さまざまな批判もなされている。
例えば、この方法では防御的リアリズムと違い、国家の個性を抹消して経済学でいう個人と同等に扱おうとしているが、経済学に比べ主体の数が格段に少ない国際政治でそれが成立するかは疑問だと思った。
それでも本書は国際政治の新しい古典の地位を占めるであろう点からも、批判的にせよ好意的にせよ、一読しておくべきであろう。
(最後に:米中は必ず衝突する、って副題が付いているが、どう読んでもそういう話がメインの本ではないし、本屋に並んでいるそういう系のあおり本でもない。これは純粋な国際政治学の理論書である。だから副題を見て「胡散臭い本」と思って投げないでほしい)
知的な挑発を受ける必読の本
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オフェンシブ・リアリズムは今や国際政治学界で確固たる地位を占める理論となったが、その経典とされているのが本書である。論調は極めて明晰で、オフェンシブ・リアリズムがリベラリズムや、古典的リアリズム、ディフェンシブ・リアリズムとどのように異なり、そしてこれら他の理論よりも如何に優れているかについて、緻密な議論によって明らかにしている。
軍事力の中で最も重要なのは陸軍だ、国家は安全保障のために常に他国を攻撃することを考えている、多極化された世界は二極世界よりも不安定で戦争が起こりやすい、といった筆者の議論は、今日の世界の通念と正反対に近いものであり、読者を徹底的に挑発している。さらに筆者は、予想される反論を尽くピックアップし、その全てに対し再反論(全てが十分な説得力を有しているようには思えなかったが)を加えている。本書で展開される議論に身を置き、筆者の見解に同意できるところと同意できないところを整理していくことは、21世紀の安全保障を理解する上で必要不可欠の準備体操だと言っては言いすぎだろうか。
拒絶反応を起こす人が多いかも
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翻訳がとても上手いので読みやすいです。難しい専門用語を乱発せずに、それに加えて理論が極力単純モデル化してあるため、わかりやすいです。
ミアシャイマー教授の主張は保守本流で反ネオコンです。彼によると、国際政治の大雑把なところは攻撃的リアリズムの理論でだいたい説明がつくそうです。
ただし、憲法9条改正には賛成でも「核武装」という単語にアレルギー反応を示す日本人は多いため、この教授の説は異端説扱いになりそう。攻撃的リアリズムは、アメリカ人よりも、かなりドイツ人受けするんじゃないかと思います。
秋にはイスラエルロビーについての著作を出版するそうですので、その日本語訳が出るのを楽しみに待っています。
リアリズムに学ぶ
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日本でも、ようやくネオリアリズムの理論書が邦訳で読めるようになった。
これまでは、主要な国際関係理論の書籍で日本語で読めたのは、古典的リアリズムに類するカーの『危機の二十年』、モーゲンソーの『国際政治』。英国学派の代表作である、ブルの『国際社会論』。ネオリベラル制度論の代表作である、コヘインの『覇権後の国際政治経済学』くらいであった。
こうした状況で、問題だったのは、現代国際関係理論の基盤となっている、ウォルツの書籍が邦訳されてこなかったことである。ただ、ウォルツの『国際政治理論の基礎』も邦訳が実現しつつあり、誠に喜ばしい。ウォルツよりも先に、ミアシャイマーの書籍が邦訳され、出版されたわけだが、ウォルツの後継者とでも言えるミアシャイマーの研究は、国際政治学徒であれば、もはや必読と言わねばならない。
本書の内容であるが、基本的には原著”The tragedy of great power politics”と変わりない。訳者の訳もこなれていて、非常に読みやすく、初学者にもお薦めである。
ただ、惜しむらくは、原著の巻末にある注釈、索引がカットされていることである。この部分にも、ミアシャイマーの主張の核心が随所に述べられていたので、出版社の都合もあったのだろうが、ぜひ邦訳にも載って欲しかった。
しかし、原著もそう高くはないし、平易な英語で書かれてあるので、邦訳と読み比べるのも面白い。しかも、ネオリアリズムの基礎は、しっかりと学ぶことができる。
今後、ウォルツの書籍が出版されたら、本書とともに、日本でもネオリアリズムの系譜がしっかりと理解されることを期待したい。